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イギリスのEEC不参加

イギリスは、1958年に結成されたヨーロッパ経済共同体に参加しなかった。

 第二次世界大戦後の米ソ二大国の対立という構造の中に埋没することを恐れたヨーロッパの統合の動きは、フランスのシューマン外相の提唱からフランス西ドイツの主導で始まった。特に、1952年のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、1958年のヨーロッパ経済共同体(EEC)の結成で、ヨーロッパ共同市場の形成が実現した。

イギリス不参加の理由

 しかし、この段階ではイギリスは、ECSC・EECのいずれにも参加しなかった。イギリスが参加しなかった理由は、
  • イギリス連邦(旧イギリス植民地だった諸国で構成)との経済的結びつきをもっていたので、ヨーロッパ大陸諸国との経済協力に消極的であったこと。
  • アメリカ合衆国との提携を重視し、むしろヨーロッパの統合には反対の立場をとっていたこと。
の二点ががあげられる。それ以外にも、イギリスの潜在的な帝国意識、いわばメンツのようなものがあったと言える。

EFTAの結成

 そして1960年にはEECに対抗して、ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を結成した。イギリス以外にノルウェー、デンマーク、スウェーデン、スイス、オーストリア、ポルトガルが加盟した。つまり、フランス、西ドイツ、ベネルクス3国、イタリア以外の主要西ヨーロッパ諸国と言える。

加盟申請に転換

 しかし、工業化など経済成長はEECの方が早く、特に西ドイツの工業生産力の復興は顕著であって、イギリスは戦争中の空爆による戦禍に加えて、産業革命期以来の石炭、鉄鉱石の採掘技術、重工業での施設の老朽化などから立ち遅れ意が明らかになり、貿易ではイギリスの輸入超過が続いた。そこで1963年、マクミラン保守党内閣は方針を転換してEEC加盟を申請したが、将来の統一通貨には反対の姿勢を崩さなかった。イギリスの加盟申請に対してず、EEC側でもフランスのド=ゴール大統領が、イギリス加盟はアメリカのヨーロッパ経済支配につながる、「トロイの木馬」だとして非難して、一貫してその加盟に反対したため、加盟は実現しなかった。イギリスは1967年の労働党ウィルソン内閣も参加申請を行ったが、同じくフランスの反対にあって実現できなかった。この年、EECはさらに統合の質を高めたヨーロッパ共同体(EC)を成立させた。

イギリスのEC加盟

 イギリスのEC加盟が実現するのは、ド=ゴールの死(1970年)の後であった。また、1960年代に、ベトナム戦争の長期化などによってアメリカ経済が落ちこみ、1971年にニクソン大統領がドルと金の兌換を停止し、従来のドルを基軸とする国際通貨制度が大きく動揺したドル=ショックが起こったことで、イギリスとEC諸国を経済的に一体化する情勢が生まれたことによる。
 1973年1月、イギリスのEC加盟が認められ、同時にアイルランド・デンマークも加盟した。これは「拡大EC」といわれ、本格的なヨーロッパ統合が成立したことを意味した。ヨーロッパの経済統合にとっては、同年12月の第1次オイル=ショック以降のさまざまな困難が生起するが、その後も加盟国を増やし、世界経済の一極を担うこととなる。しかしイギリスは2002年に本格化したユーロの導入という通貨統合には加わらず、自国通貨のポンドを使用し続けた。
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