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ビン=ラディン

サウジアラビア出身のイスラーム原理主義指導者で、武装組織アルカーイダを組織した。2001年、9.11の同時多発テロを実行したとして、アメリカはその捕捉をめざしアフガニスタンに侵攻した。その後、2011年、パキスタン北部の山岳地帯に潜伏しているところをアメリカ軍特殊部隊によって襲撃され、殺害された。

 オサマ(ウサマ)=ビン=ラディン。Bin Ladin イスラーム原理主義武装集団アルカーイダの組織者で、9.11同時多発テロの首謀者とされる人物。1957年、サウジアラビアの富豪の家に生まれる。1980年頃、ソ連のアフガニスタン侵攻に対して戦うイスラーム原理主義集団に加わり、アメリカの武器支援を受けてソ連軍と戦った。

アルカーイダを組織

 その後、サウジに戻るが、湾岸戦争でアメリカ軍がサウジアラビアに駐屯したことに反発、サウジアラビアとアメリカ政府を激しく非難した。湾岸戦争終結後の1991年ひそかにスーダンに入り、建設業はじめいくつかの事業を興して資金を獲得、同時に国際的原理主義組織「アルカーイダ」(カーイダは基地の意味)の名前で、エジプトやアルジェリアなど原理主義勢力の反米闘争を積極支援した。

アフガニスタンに入る

 これに対してアメリカ政府は、ビン=ラディンが事業で得た資金を世界各地の原理主義テロ組織に与えていると断定し、彼を「テロのフィナンシャー」と呼んで警戒した。94年4月、サウジ政権はビンラーディンの国籍を剥奪、ビン=ラディンは96年5月、家族や仲間たち約50人と共にアメリカやサウジの追及の手がおよばない「原理主義運動の聖域」アフガニスタンに戻り、ターリバーン政権の保護を受けることとなった。

ジハードを宣言

 この年の8月23日、ビン=ラディンは「ジハード宣言」を発表、二大聖地(メッカとメディナ)があるイスラム教の聖域を異教徒の米軍兵士が汚しているとして、その殺害を呼びかけるた。98年2月、中東・南西アジアの過激原理主義5組織と「ユダヤ人と十字軍に対する聖戦のための世界イスラム戦線(略称・世界イスラム戦線)」を結成した。「戦線」の参加組織は、ビン=ラディンの「カーイダ」、エジプトの「ジハード団」と「イスラム集団」、パキスタンの「パキスタン・ウラマー連盟」「アンサール運動」(後にムジャヒディン運動」と改名)、バングラディシュの「ジハード運動」だった。<藤原和彦『イスラム過激原理主義』講談社現代新書p.125>
 2001年9月11日のアメリカ・ニューヨークの世界貿易センタービルなどに対する同時多発テロはこのビン=ラディンの指示によるアルカーイダの犯行とされ、アメリカはその捕捉をめざしアフガニスタンのターリバーン政権を倒したが、身柄を拘束することが出来ず、テロの危険も続いた。
 2011年、パキスタンの山岳地帯の小さな村に潜伏していたが、アメリカ軍にピンポイントで攻撃され、死亡したと伝えられている。
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