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アル=カーイダ

ウサマ=ビン=ラーディンが結成したイスラーム原理主義武装組織。湾岸戦争後の1990年代から各地で反米テロを開始し、2001年9月11日にはアメリカ同時多発テロを実行した。

 アル=カーイダ(英語表記は Al-Qaeda )、またはアル=カイダ、アルカイダとも表記。イスラーム原理主義者のビン=ラーディンが組織した国際的テロ組織。カーイダとは「基地」の意味で、ソ連軍のアフガニスタン侵攻に対してソ連軍と戦ったイスラーム戦士(ムジャヒディーン、またはアラブ=アフガニーといわれる)の家族たちを保護するセンターだったという。実態はよくわからないが、ビン=ラーディンの指導する最も過激で広範囲な活動を展開する国際テロ組織となった。

ビン=ラーディン

 サウジアラビア生まれのビン=ラーディンはアフガニスタンで対ソ連のゲリラ活動を展開し、ソ連撤退後サウジアラビアに戻り、湾岸戦争から反米姿勢を強め、サウジを追われてスーダンに移って事業を展開して資金を獲得し国際テロ組織「アル=カーイダ」を組織した。1996年にふたたびアフガニスタンに入り、カンダハルなどを拠点にアル=カーイダとしての活動を展開した。当時アフガニスタンの権力を握たターリバーンにも資金を援助する代わりにその保護を受けたという。

9.11同時多発テロとアル=カーイダ

 2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロは、アメリカ合衆国はこのアル=カーイダの犯行と断定し、ビン=ラーディンを首謀者と名指しした。ビン=ラーディンは直後の声明で関与を否定した。
 さらにアメリカはビン=ラーディンおよびアル=カーイダがアフガニスタンのターリバーン政権に匿われているとしてその引き渡しを要求したが、ターリバーン政権が拒否したため、同年10月、アフガニスタン攻撃に踏み切った。ブッシュ大統領は、国際テロ組織アル=カーイダとの全面的な対テロ戦争であると宣言し、大規模な作戦を展開、空爆と地上軍を投入し、ターリバーン政権を倒したが、ビン=ラーディンを捕捉することは出来なかった。
 アフガニスタンのターリバーン政権が倒されたため、アル=カーイダは拠点を失い活動拠点を分散させた。ビン=ラーディン自身は、潜伏してアメリカの追求を逃れながら、なお影響力を維持していた。2004年、ビン=ラーディンはビデオメッセージを発表し、自らの9.11同時多発テロへの関与を表明した。ただしこのビデオについては偽物説もあり確証はない(wikipedia情報)。

ビン=ラーディンの死

 イラク戦争サダム=フセイン政権を倒したアメリカは、その後もCIAによるビン=ラーディン追跡を続け、オバマ大統領は2011年5月2日、特殊部隊がパキスタンの山岳地帯に潜伏したビン=ラーディンを殺害した、と発表した。ビン=ラーディン死後、アル=カーイダは後継者としてそれまでイスラーム教理面での指導者であったアイワン=ザワーヒリー(日本ではザワヒリと表記されることが多い)を選出し、なおも活動を継続し、さまざまなテロ集団との関係や影響力を保持した。ただ、実際にはより小さな分派に分かれており、まとまった活動は出来なくた。

NewS ザワーヒリー指導者殺害される

 アメリカ軍は、ビンラディン殺害後も後継者ザワーヒリーを国際テロ組織の根幹にいるとしてその行方を追及していた。2020年2月にアメリカのトランプ政権はアフガニスタンの反政府勢力タリバンとの間で「アルカイダを含むテロ組織の活動を許さない」という合意を結んでいたが、ザワーヒリーを保護しているかどうかは明言を避けていた。しかし、バイデン政権がアフガニスタンからのアメリカ軍を撤退させたことを受けて、2021年8月15日にターリバーンが首都を制圧しガニ大統領が逃亡、ターリバーン政権が復活したことで、おそらくそれまで山岳部にかくまわれていたザワーヒリーは首都に移ったと思われる。その後もアメリカ軍は衛星での監視を続け、2022年7月31日、カブール市内で潜伏していたザワーヒリーをドローン攻撃によって殺害したと発表した。タリバン政権は直ちにアメリカを非難したが、それ以上の行動には出なかった。
 国連監視団の報告によると2022年7月のアルカイダの残存勢力はアフガニスタン南部と東部を中心に、数百人が活動しているという。アメリカに対する同時多発テロの時のような勢いはないものの、「アルカイダ指導部は、タリバンに助言する役割を担っており、両グループは緊密な関係を保っているという。<朝日新聞 2022/8/3 記事による>
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