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アメリカのアフガニスタン攻撃

2001年10月、アルカーイダの掃討を名目にアメリカがアフガニスタンを空爆、地上軍を投入した。その後も2014年まで駐留した。

 2001年10月7日に開始された、アメリカ合衆国・イギリス軍による軍事行動で、アフガニスタンのターリバーン政権が国際テロ組織アルカーイダを匿っているとしてその排除をめざした。同年12月7日、ターリバーン政権は崩壊したが、その首謀者と目されたビン=ラディンの捕捉には失敗した。

9.11同時多発テロへの反撃

 9.11同時多発テロが起きるとアメリカ合衆国のブッシュ大統領は直ちにビン=ラディンらアルカーイダの犯行と断定し、その引き渡しをアフガニスタンのターリバーン政権に要求した。ターリバーン政権の拒否を見越して武力行使を準備、周辺国への根回しを開始した。また国連安全保障理事会、NATO、EUなども次々とテロへの非難決議を採択し、ロシア・中国を含む60ヵ国以上がアメリカ合衆国を支持する声明を発した。一方でブッシュ大統領は、この戦いはイスラーム教徒を相手にする十字軍の戦い「クルセード」と表明し、世界各地のイスラーム教徒の反発が起きたため発言を取り消したが、イスラーム圏では反米暴動が各地で起きた。

アフガニスタンへの空爆

 10月7日、アメリカ・イギリス軍はインド洋の艦船から戦闘爆撃機による攻撃を開始、また潜水艦から巡航ミサイルを発射して、カーブルのターリバーン政権中枢やアルカーイダの訓練所などの空爆を開始した。この空爆でアフガンに投下された爆弾は、第2次世界大戦中、1941年から42年のロンドン大空襲でドイツ軍が投下した爆弾の半分に相当する1万トンに達した。空爆に加えて、武器や砲弾の援助を受けた北部同盟が攻勢に出て、マザリシャリフ、ヘラート、首都カーブルを制圧した。アメリカ・イギリス地上部隊は最後のターリバーンの本拠カンダハール攻略に参加した。こうして戦闘2ヶ月でターリバーン政権は崩壊した。<渡辺光一『アフガニスタン』 2003 岩波新書 p.202-204>
 → 現在のアフガニスタン  冷戦後のアメリカの外交政策 
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