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東ティモール

小スンダ列島の東端の島で、2002年、インドネシアから独立した。しかし現在も政情不安定が続いている。

 東南アジア諸島部(島嶼部)の小スンダ列島の東端にあるティモール島の東半分(一部、西半分にも領土がある)にある国家。2002年にインドネシアから独立。なお島の西半分はインドネシア領。人口推定約65万、公用語はポルトガル語とテトゥン語。カトリック教徒が約90%を占める。

東ティモールの独立

 16世紀以来、ティモール島は西半分がオランダ領、東半分がポルトガル領とされていた。第二次世界大戦後、旧オランダ領がインドネシアとして独立した後も、東ティモールはポルトガル植民地として続いていた。
 東ティモールでも独立運動が強まり、東ティムール独立革命戦線(略称フラティリ)を中心に独立運動が始まった。1974年ポルトガルの民主化が始まり、本国の新政権が植民地独立を認めたため、1975年に独立宣言した。しかし、独立派とインドネシア併合派が対立し、内戦に突入、翌76年にインドネシアのスハルト政権は武力併合に踏み切った。国連総会はインドネシアを侵略行為として非難したが、アメリカ・日本などはスハルト政権を支持し、抗議しなかった。反発した住民組織による武装闘争が激化し、スハルト政権下で約200万人が犠牲になったと言われている。
 1998年にスハルト政権が倒れ、代わって成立したハビビ政権は住民投票を認め、1999年の国民投票で独立賛成が多数を占めた。それに対して独立反対派の民兵が暴動を起こし、多数の死者が出た。10月に国連の多国籍軍の介入によって暫定統治機構が成立、治安を回復して2002年2月から国連平和維持活動(PKO)が実施され(日本の自衛隊海外派遣)、5月に独立を達成した。 

紛争続く東ティモール

 2002年5月に独立を達成したが、東ティモールはその後も内紛が続いている。2006年4月には軍隊内の東部出身者と西部出身者の対立から内紛が起こった。人事などで主導権を握る東部出身者に対して西部出身者の不満が高まったため、とされている。東ティモール政府は自力での治安維持が困難としてオーストラリアなどに軍隊の派遣を要請した。オーストラリア軍などの活動で治安が回復されたが、2008年2月にはラモス=ホルタ大統領(1996年度ノーベル平和賞受賞者)が反政府勢力に狙撃されて重傷を負うなど、紛争がつづいている。 
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