印刷 | 通常画面に戻る |

東ティモール

小スンダ列島の東端の島で、1975年、ポルトガルからの独立宣言を行ったが、インドネシア軍が侵攻して併合した。激しい抵抗運動の結果、2002年に独立した。しかし現在も政情不安定が続いている。

 東南アジア諸島部(島嶼部)の小スンダ列島の東端にあるティモール島の東半分(一部、西半分にも領土がある)にある国家。2002年にインドネシアから独立し、21世紀最初の独立国家となった。なお島の西半分はインドネシア領。人口推定約65万、公用語はポルトガル語とテトゥン語。カトリック教徒が約90%を占める。
 16世紀以来、ティモール島は西半分がオランダ領、東半分がポルトガル領とされていた。第二次世界大戦後、旧オランダ領がインドネシアとして独立した後も、東ティモールは1942年から一時的に日本軍に占領された以外は、ポルトガル植民地として続いていた。

東ティモール内戦

 第二次世界大戦後、東ティモールでの独立運動が強まり、東ティムール独立革命戦線(略称フラティリ)を中心に独立闘争を展開するようになった。1974年ポルトガルの民主化によって植民地維持にこだわっていた本国の独裁政権が倒れるとポルトガルのティモール総督は、住民投票で独立を選ぶか、インドネシア併合か、ポルトガルに留まるかの三者択一を宣言した。それによって、住民の間に、ポルトガル共同体の中での自治州を主張する「ティモール民主同盟」、ポルトガルからの完全独立と社会主義体制を求める「東ティモール独立革命戦線」、インドネシア併合に好意的な「ティモール人民民主連合」、の三組織が生まれ、対立した。混乱を避けたいポルトガル政府は76年に民族自決のために国民投票を行うことを決めた。しかし三組織の対立はかえって激化してポルト月は統治能力を失い、多くの難民が本国に引き揚げ、その中から完全独立派が優勢になった。
インドネシアによる武力併合 1976年12月7日、インドネシア共和国スハルト大統領政権は、東ティモール住民の要請を受けたという口実で、インドネシア軍を派遣、東ティモールをインドネシアの第27の州として併合した。国連安保理はインドネシア軍に撤退を要求、国連総会もインドネシアの侵略行為として非難したが、アメリカ、オーストラリア、日本はインドネシアの併合を承認し、完全独立派は山岳部に逃れてゲリラ闘争を開始した。このインドネシアに反発した住民組織による武装闘争はさらに激化し、スハルト政権下で約200万人が犠牲になったと言われている。

東ティモールの独立

 1998年にスハルト政権が倒れ、代わって成立したハビビ政権は住民投票を認め、1999年の国民投票で独立賛成が多数を占めた。それに対して独立反対派の民兵が暴動を起こし、再び多数の死者が出た。10月に国連の多国籍軍の介入によって暫定統治機構が成立、治安を回復して2002年2月から国連平和維持活動(PKO)が実施され(日本の自衛隊海外派遣)、5月に独立を達成した。

紛争続く東ティモール

 2002年5月に独立を達成したが、東ティモールはその後も内紛が続いている。2006年4月には軍隊内の東部出身者と西部出身者の対立から内紛が起こった。人事などで主導権を握る東部出身者に対して西部出身者の不満が高まったため、とされている。東ティモール政府は自力での治安維持が困難としてオーストラリアなどに軍隊の派遣を要請した。オーストラリア軍などの活動で治安が回復されたが、2008年2月にはラモス=ホルタ大統領(1996年度ノーベル平和賞受賞者)が反政府勢力に狙撃されて重傷を負うなど、紛争がつづいている。 
印 刷
印刷画面へ