ウルク
メソポタミア文明のシュメール人が残した都市国家遺跡の一つ。世界最古の文字資料である楔形文字の原型となった絵文字が出土し、神殿を中心とした官僚組織の存在などがあきらかになっている。
メソポタミア文明のなかで、紀元前4000年紀に入ってウルク期といわれる時代となり、古代オリエント最古の都市文明が誕生した。その都市文明を代表するのがウルク(現在のワルカ)遺跡である。神殿跡、円筒印章、楔形文字(とその原型となったと思われる絵文字)を記した粘土版などが出土している。
1913年から第一次世界大戦をはさんで、ドイツ人のユリウス=ヨルダンによって発掘された。パルティア時代の遺跡の下の地層から、シュメール時代の神殿の跡が見つかった。ウルクは100ヘクタールの都市域を持ち、中央に巨大な神殿を有していたことがわかった。中でも人びとを驚かせたのが世界最古の文字とされる前3200年頃の絵文字の文書が数百枚見つかったことだった。この文字は楔形文字の原型になったと考えられている。長く繁栄していた都市であったが、ユーフラテス川の流れが20kmほどズレてしまったため、廃墟となったらしい。<ジャン・ボッテロ他『メソポタミア文明』知の再発見双書 創元社> → ウル
神殿と楔形文字の原型
ウルクは最盛期には100ヘクタールもある大きな都市に成長し、近隣の集落を統括する役割を果たしていたと考えられる。遺跡中央にいくつもの巨大な神殿が建てられており、都市文明の段階にあることがわかる。最も注目すべきは、ウルク期末期に文字が出現したことであり、ウルク遺跡から楔形文字の原型となった文字が記された最古の粘土版文書が約5000枚種t度している。その約85%は物とその数量を記録した会計記録であり、ウルクの神殿の経済がいかに大規模で複雑であったかを物語っている。当然、これらの会計記録を作成する役人やそれらの役人を監督する管理職などの官僚組織が出来上がっていた。この組織のすべてを統括していた支配者はエンと呼ばれていたと思われる。<中田一郎『メソポタミア文明入門』2007 岩波ジュニア新書 p.10-16>シュメール人の都市国家
メソポタミア文明を最初に生み出したシュメール人のつくった都市国家の中で、最古で最大の都市遺跡がウルクである。ユーフラテス川の左岸にあって、現在はイラクのワルカの近郊にあたる。シュメール国家のウルク第1王朝と言われることもある。1913年から第一次世界大戦をはさんで、ドイツ人のユリウス=ヨルダンによって発掘された。パルティア時代の遺跡の下の地層から、シュメール時代の神殿の跡が見つかった。ウルクは100ヘクタールの都市域を持ち、中央に巨大な神殿を有していたことがわかった。中でも人びとを驚かせたのが世界最古の文字とされる前3200年頃の絵文字の文書が数百枚見つかったことだった。この文字は楔形文字の原型になったと考えられている。長く繁栄していた都市であったが、ユーフラテス川の流れが20kmほどズレてしまったため、廃墟となったらしい。<ジャン・ボッテロ他『メソポタミア文明』知の再発見双書 創元社> → ウル
世界最古の文字
ウルクから見つかった粘土板は約800枚(断片を含めると約3000枚)、約前3200年頃の世界最古の文書とされており、ウルク古拙文字とも言われる。ウルクの絵文字には約1000の文字が使用されているが完全には解読されていないが、大部分が家畜や穀類、土地などについての会計簿で、完全な表音文字にはなっていないが、中国の甲骨文字に1800年ほど早い、最古の文字である。<小林登志子『シュメル-人類最古の文明』2005 中公新書 p.38>シュメール初期王朝時代
ウルク期に続き、ジェムデト・ナスル期(前3200/3100~2900年頃)を経て、シュメール初期王朝時代(前2900~2335年ごろ)となると、シュメールには20以上の都市国家が分立し、そのなかでウルクは政治的威信の点で抜きん出ており、他にラガシュはその規模と経済力で、ニップルは最高神エンリルを祀る都市として、ウルは金や銀の副葬品をもつ王墓を営んだ都市として知られている。このシュメール初期王朝時代は次のアッカド人によって領域国家に統合される。