文字
人類社会の高度化に伴って出現した記録技術。一般に文明の指標とされるが、文字を持たない文明社会も存在した。また古代の文字の多くは用いられなくなり、解読できなくなったもの多い。現在は大きく分けるとアルファベット系、アラム文字系、漢字系、インド文字系などの系列があるが、いずれもさまざまな派生と変化を遂げ、現在に至っている。
文明段階の指標
文字の最初は絵文字であり、前3200年前頃、西アジアのシュメール人の都市ウルクで使い始めた絵文字が最も古いとされている。モノそのものを表す絵文字から、ある観念を表すことの出来る表意文字生まれた。前3000年頃にメソポタミアで楔形文字が普及した。他に前3000年頃のエジプトの象形文字(ヒエログリフ)、前13世紀頃の中国の甲骨文字から発達した漢字、などである。ギリシアのエーゲ文明では線文字が使用され、そのうちミケーネなどで見つかっている線文字Bは解読されている。インダス文明ではインダス文字が印章などで使用されていたが、これはまだ解読されていない。また文字には、インカ文明で用いられたキープのように、平面的な形でないものもある。北米大陸のマヤ文明では高度な絵文字であるマヤ文字が使用されていたが、忘れ去られてしまい、現在解読が進んでいる。このような表意文字の発生は人類の「文明」段階の重要な指標となる。文字はまず、都市国家において徴税記録や王統の記録など国家権力にとって必要なものとしてつくられてきたのである。これらの原初的な文字の多くは、古代文明の興亡の中で、多くが使用されなくなり、忘れ去られてしまい、現在は出土史料をもとに解読作業が進められているが、インダス文字のようにまだ未解読のものも多い。
アルファベット系の文字
文明圏を超えた交易が始まるようになると、より普遍的な利用が可能なアラム文字系の東方伝播
フェニキア人のアルファベットと近い関係にあったと思われるアラム人のアラム文字は、アラム人が内陸の貿易に従事していたことから、西アジアでヘブライ人のヘブライ文字やアラビア語のアラビア文字などが生まれただけでなく、中央アジアに広がり、突厥文字、ソグド文字、ウィグル文字、モンゴル文字、満州文字などにつながっていった。漢字の広がり
甲骨文字から生まれた漢字は東アジアに広がり、周辺諸民族は10世紀頃、そろって漢字をもとにして自らの文字を作った。契丹文字、西夏文字、女真文字がそれであり、日本の仮名文字も漢字をもとにして作られた表音文字である。朝鮮も漢字文化圏であったが、朝鮮王朝時代の1446年に表音文字であるハングル(訓民正音)が考案された。それは漢字をもとにした文字体系とは異なる独自のものであった。ベトナムは北部が中国文化圏であったことから漢字が用いられていたが、民族意識が強まった13世紀の陳朝の時代に、漢字をもとに字喃(チュノム)が作られたが、定着することはなく、フランス植民地時代からラテン文字(ローマ字)が普及した。インド、東南アジアの文字
古代インドではヒンディー語を書き表す文字としてブラーフミー文字が使用されていた。ブラーフミー文字はチベットに伝えられたほか、インド文明が東南アジアに伝播し、いわゆるインド化が進む中で、ビルマ文字やクメール文字、タイ文字、ラオスのラオ文字などに影響を与えた。ところが、インドでは6世紀ごろからブラーフミー文字から派生したデーヴァナーガリー文字が10世紀ごろには広く使用されるようになり、本来のブラーフミー文字は忘れられてしまった。さらに19世紀までにイギリス植民地化したことによって、英語が普及するとともにアルファベットが用いられるようになった。現在ではインド憲法で公用語とされたヒンディー語を表記する文字はデーヴァナーガリー文字と定められている。東南アジアでは前記の地域ではインド系の文字が現在も使われているが、イスラーム化が進んだインドネシアやマレーシアではアラビア文字が用いられるようになり、さらに現在はアルファベットが使われている。<『図説・アジア文字入門』河出書房新社>文字に先行するトークン
なお、最近は文字の前段階にあると考えられる「トークン」が注目されている。メソポタミアの遺跡から出土する小さな粘土の塊に記号のような模様がほどこされているもので、何らかの意味を伝達、記録する「文字」として使用され、そこから絵文字に転化したのではないかと考えられている。最古のトークンは前8000年にさかのぼるとされるが、メソポタミアのどこかはわかっていない。前4400年ごろには多様化し、前3500年ごろに多数作られた。ついで前3200年ごろにシュメール人の都市ウルクで絵文字が現れてくる。<小林登志子『シュメル-人類最古の文明』2005 中公新書 p.34-37>文字の記録
文字が生まれてから、自然の石や岩、さらに人工的な粘土版に彫られることで伝えられ、後の世に残された。粘土版はメソポタミアの楔形文字を記録するためのものであり、中国では亀甲や獣骨が漢字のもととなった甲骨文字の記録媒体であった。東南アジアでは多羅葉(ハガキの木)の葉に文字が刻まれ、通信用に使われたという(そこから「葉書」という言葉が生まれた)。エジプトではヒエログリフがパピルスに記録され、中世ヨーロッパでは羊皮紙が用いられていたが、中国で発明された紙がやがて世界中に広がり、文字媒体となった。文字は始めは人の手による「写本」として書籍に用いられたが、これも中国で活字印刷や木版印刷術が生まれ、朝鮮では金属活字が作られたが、15世紀にはグーテンベルクによって活版印刷術が完成され、活字文化が普遍化した。20世紀に始まったデジタル技術による文字の記録と印刷の急速な普及は、文字の歴史の中の大きな変化として捉えることができる。(引用)人類が文字を持ちはじめてから、それは石やパピルス、羊皮紙、そして紙へと書き綴られてきました。「書く」はイタリア語で、「scrivere スクリーヴェレ」です。英語に「describe ディスクライブ(描く)」という動詞があります。この二つの単語にスペリングの上で共通しているのは、双方に「sc」が入っていることです。これは、カリカリという音を文字化したもので、昔、人が硬い鉄のような筆で石や岩に文字を刻みつけたときに発生した音だと言われています。刻みつけると同時に、それが知識として残っていったことでしょう。<澤井繁男『ルネッサンス』2002 岩波ジュニア新書 p.143>