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ティグリス川・ユーフラテス川

西アジア、現在のイラクを北西から南東に並んで流れる大河で、ペルシア湾に注ぐ。人類最古の文明とされるメソポタミア文明を生み出した。その後オリエントの大国が興亡し、イスラーム圏となる。近代ではイラク戦争など紛争が続いている。

メソポタミア文明を生み出す

ティグリス・ユーフラテス地図
ティグリス・ユーフラテス両河地域
緑が古代重要地名 赤点線は現在の国境
 ティグリス・ユーフラテスと一括されるが、並流する二つの河川であり、ともに源流はアルメニアに近いトルコ東部の山岳地帯で、現在のイラク国内を北西から南東に流れる。ティグリス川がイラン側(北東側)、ユーフラテス川がサウジ側(南西側)を流れ、中流部の現在のバグダード付近で間が狭まり、下流域は再び間が広くなって、最後に流れが一つのシャトル・アラブ川となってペルシア湾に注いでいる。この両河にはさまれた地域が、ギリシア時代から「川の間の地域」を意味するメソポタミアと言われるようになった。ただし、古代メソポタミア文明の時代には、現在より海岸線は内陸にあり、二つの川は別々に海に注いでいた。現在は「二つの川」を意味する「アル・ラフダイン」といわれている。上流域の両河にはさまれた地域は「ジャジーラ」(島の意味)という。
 この両河は、たびたび大洪水を起こし、その下流に広大な沖積平野を形成した。それがメソポタミア平原である。この大洪水の記憶はメソポタミアの人々に語り継がれ、ギルガメシュ叙事詩(神話)となり、さらにそれを継承した『旧約聖書』のノアの箱船の伝承となったものと思われる。
 ティグリス・ユーフラテス流域の北側の周縁には肥沃な三日月地帯が広がり、下流域にはウルクウルなどの古代都市が生まれてメソポタミア文明が繁栄した。中流で両河の間が狭くなる地域にはかつてはバビロンが栄え、オリエント世界を形成し、現在ではイラクの首都バグダードがあって、中東といわれる地域の中心地となっている。

ティグリス川

 日本ではチグリス川と表記することも多く、現地ではダジュラという。アナトリア東部の山岳地帯を源流とし、東南に流れてユーフラテス川とともにメソポタミアの平原部を通り、ユーフラテス川と合流しペルシア湾に注ぐ全長約1900kmの大河。古代は海岸線が現在よりも陸側に入り込んでおり、両河は別々にペルシア湾に注いでいた。ティグリス川は上流にはアッシリアの中心都市ニネヴェの遺跡があり、中流はアッバース朝以来の都バグダードの市内を流れている。

ユーフラテス川

 ティグリス川の南側を流れる大河で、同じくアナトリア東部の山岳地帯を源流として大きく蛇行しながらシリアを経てイラクに入り、メソポタミアの平原部を通ってペルシア湾に注ぐ、全長2800kmの西アジア最長の河川。現在では途中でティグリス川と合流するが、古代には河口は別であった。ユーフラテス下流ではメソポタミア最古のシュメール人都市文明が形成された。ギリシア人が「エウフラテス」と呼んだので一般にユーフラテス川というが、現地ではフラート川(アルフラート)といっている。ユーフラテス川は別名「銅の河」という意味のウルドゥ河と言われる。それは都市文明を支えた青銅器の原料の銅がペルシア湾からこの河の水運で運ばれたからである。<小林登志子『シュメル』2006 中公新書 p.6>

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