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ウル第3王朝

前2100年頃、シュメール人がメソポタミア支配を再建した領域国家。

シュメール人の王朝

 シュメール人ウルを中心に独立を回復し、メソポタミアを支配した王朝(前2112~2004年)。ウルに都をおいた三番目の王朝という意味でウル第3王朝と言う。アッカド王朝の衰退に乗じウルのシュメール人軍事司令官ウル=ナンムが建国。約100年しか存続しなかったが、その間、最初の法典の整備が行われシュメール法典(「ウル=ナンム法典」ともいう)が編纂された。また法に基づく行政や裁判が行われていたらしく、膨大な行政、財政、租税、裁判記録などを記した粘土板が出土している。このようなウル第3王朝には「最初の官僚制国家」という位置づけがされている。
 ウル第3王朝は5代約100年続いた後、前2004年頃、東方(イラン方面)から侵入したエラム人によって滅ぼされた。<『世界の歴史』1 中央公論社 前川和也 1998 p.190>
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