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シドン

東地中海岸のフェニキア人の拠点となった都市の一つ。ティルスなどと共に地中海交易と海軍力で繁栄した。

 東地中海海岸にあってティルスと並びフェニキア人の海上貿易の拠点として栄えた。現在のレバノンのサイダーという町にあたる。その南に位置するティルスとともに、前12世紀ごろからガラス細工や紫の染料などの手工芸品の輸出によって繁栄が始まり、世襲の国王の治める王国となったが、前8世紀以降はアッシリア新バビロニア王国に征服されたことにより衰えた。

ペルシア帝国の保護

 前6世紀にはアケメネス朝ペルシア帝国の支配がおよび、シドンはティルスなど共にその保護を受け、交易活動を保護され、またペルシア海軍に艦船を提供した。ペルシア戦争のサラミスの海戦などではペルシア海軍の一部としてアテネなどギリシア海軍と戦い敗れた。しかし、海港としての繁栄は続き、前5世紀の半ばから貨幣を発行しており、それはティルスやカルタゴよりも早かった。<佐藤育子「フェニキアの台頭」『通商国家カルタゴ』興亡の世界史 2009 講談社 後、2016 講談社学術文庫 p.238>
 前332年にマケドニアのアレクサンドロス大王の遠征軍が迫ると、城門を開いて降伏し、ヘレニズム世界に組み込まれた。セレウコス朝シリアがローマに滅ぼされると、属州シリアの一部となった。
 7世紀にはイスラーム勢力がおよんでイスラーム化が進んだが、その後も東地中海の良港として存在したので、十字軍はこの地のイスラーム軍と激しく争うこととなった。
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