リディア王国
前7~6世紀、アッシリア帝国滅亡の4国分立時代に、小アジアを支配した国家。世界で最初に金属貨幣を鋳造した。都はサルデス(サルディス)。前546年、アケメネス朝ペルシアによって亡ぼされた。
リディア Lydia はリュディアとも表記することが多い。前7世紀~前546年、4国分立時代 の小アジア(現在のトルコ)西部にあったインド=ヨーロッパ語族系統の王国。都はサルデス(サルディス)。前612年にアッシリア帝国が滅亡してオリエント世界が新バビロニア王国(カルデア王国、メソポタミア地方)、メディア王国(イラン高原)、エジプト末期王朝(第26王朝など)およびこのリディア王国(小アジア)の四王国に分立、その最も西部のエーゲ海に面した地域を支配した。
前6世紀中頃のクロイソス王(在位前560~前546)のころ全盛期となり、エーゲ海に面したエフェソスを支配して、巨大なアルテミス神殿を建造した。しかし、東方のカッパドキアの領有を巡ってアケメネス朝ペルシアのキュロス2世と対立し、デルフォイの神託にしたがって開戦したが、前546年に敗れて滅ぼされた。
初期のリディアの貨幣は大きさもまちまちだったが、紀元前550年ごろ、クロイソス王は国家が発行した貨幣としては最初の金貨を鋳造した。クロイソスが金を見つけたのは、伝説のミダス王(触れる物をすべて黄金に変えたという)の所有する川だったという。当時リディアの都サルディスは現在のトルコ北西部の交易の一大中心地で、確かに金が豊富に産出した。クロイセスより百年ほど前にリディアでは硬貨が作られていたが、それは自然に産出する金と銀の混じった鉱石を使っており純粋な金ではなかったので金がどれだけ含まれているか分からなかった。そこで、クロイソス王は一定の重量の純金と純銀の硬貨を国家の信用において発行すれば、安心して取引が出来ることに気付いた。
どうやって金貨を造ったか しかし、金と銀を分離することは当時の技術では難しかった。銀は化学変化にそれなりに抵抗性があり、金は非常に化学変化に強い物質である。リディア人は鉱山から採取した金の塊をハンマーでごく薄いシート状に延ばし、それを食塩つまり塩化ナトリウムと一緒にるつぼに入れ、摂氏800度ほどの炉で熱することで純度の高い金をとりだしたものと思われる。
純度が高いことと同じ程度に重要なのが、それに価値をあらわずシンボルを刻印することで、そのための専門の職人が必要だった。リディアの金貨では文字や年代を刻むことはなかく(それはかなり後のことである)、重量を表示するためにライオンの体の部分が刻印された。これによって硬貨の純度と重さを調べる責任は商売人から国家の支配者へと移行した。おかげでサルディスでは商売が容易になり、取引が迅速に行われたのでより魅力的な場所になり、クロイソスの硬貨はリディア以外でも使われるようになった。信頼に足る最初の通貨を世界に提供したのがクロイソスであり、金本位制の始まりであった。その結果、クロイソスは巨万の富を築き、「クロイソスのように金持ちだ」という俗諺が生まれた。
クロイソスのリディアはペルシア帝国のキュロス2世に亡ぼされるが、ペルシア帝国はリディアの金貨製造技術と貨幣制度をそのまま引き継ぎ、帝国の貨幣制度とした。<ニール・マクレガー/東郷えりか訳『100のモノが語る世界の歴史1 』2012 筑摩選書 p.230-236>
このことばは、ヘロドトスの『歴史』に見える、リディアのクロイソス王の言葉である。リディアはアケメネス朝ペルシアのキュロス2世に攻撃され、その王クロイソスは首都サルデスで捕らえられ、火あぶりにされることになった。燃えさかる薪の上でクロイソスがアポロンの神に祈ると、突如雲があつまって大雨になり、火が消えてしまった。キュロス王はクロイソスが神に愛された立派な人間だと知り、彼を薪の上からおろし、「わしの友とならず敵となったのはだれのしわざか」と訊ねた。それに対する答えの一節が先ほどの言葉であった。その言葉を聞くとキュロス王はクロイソスを傍らに座らせ丁重にもてなし、その後もご意見番として重んじた。<ヘロドトス『歴史』巻一 87節 松平千秋訳 岩波文庫(上)p.72 >
クロイソスは自分をきらびやかに飾り立てて玉座につきながら、ソロンに向かって、何かこれよりも美しい観物を観たことがあるかと訊ねた。するとソロンは、「見ましたとも、雄鶏や雉子や鳩をね。これらの鳥は、もって生まれた色で一万倍も美しく身を飾っていますからね」と答えた。<ラエルティウス『同上書』 p.50>
前6世紀中頃のクロイソス王(在位前560~前546)のころ全盛期となり、エーゲ海に面したエフェソスを支配して、巨大なアルテミス神殿を建造した。しかし、東方のカッパドキアの領有を巡ってアケメネス朝ペルシアのキュロス2世と対立し、デルフォイの神託にしたがって開戦したが、前546年に敗れて滅ぼされた。
クロイソス王の金貨
リディア王国では前7世紀にギュゲス王は世界で最初の金属貨幣を鋳造した。それは前670年のことで、純度・重さを一定にした金73%、銀27%の合金「エレクトラム」でコインを造り、ライオンの頭部を刻印したものであった。当時のリディアではこうした天然の合金が豊富に採掘されていた。この最初のコインは現在で言えば勲章のようなものと推測されている。リディア王国はエーゲ海に面したイオニア地方にも隣接していたことから交易が盛んで、商工業が発達し、取引を媒介する世界で最初の貨幣が鋳造され、流通するようになった。同時にリディア王国はギリシア文化にも大きな影響を及ぼした。クロイソス王が発行したという本格的な世界最初の金貨は、現在大英博物館に所蔵されている。以下はその金貨についての説明である。初期のリディアの貨幣は大きさもまちまちだったが、紀元前550年ごろ、クロイソス王は国家が発行した貨幣としては最初の金貨を鋳造した。クロイソスが金を見つけたのは、伝説のミダス王(触れる物をすべて黄金に変えたという)の所有する川だったという。当時リディアの都サルディスは現在のトルコ北西部の交易の一大中心地で、確かに金が豊富に産出した。クロイセスより百年ほど前にリディアでは硬貨が作られていたが、それは自然に産出する金と銀の混じった鉱石を使っており純粋な金ではなかったので金がどれだけ含まれているか分からなかった。そこで、クロイソス王は一定の重量の純金と純銀の硬貨を国家の信用において発行すれば、安心して取引が出来ることに気付いた。
どうやって金貨を造ったか しかし、金と銀を分離することは当時の技術では難しかった。銀は化学変化にそれなりに抵抗性があり、金は非常に化学変化に強い物質である。リディア人は鉱山から採取した金の塊をハンマーでごく薄いシート状に延ばし、それを食塩つまり塩化ナトリウムと一緒にるつぼに入れ、摂氏800度ほどの炉で熱することで純度の高い金をとりだしたものと思われる。
純度が高いことと同じ程度に重要なのが、それに価値をあらわずシンボルを刻印することで、そのための専門の職人が必要だった。リディアの金貨では文字や年代を刻むことはなかく(それはかなり後のことである)、重量を表示するためにライオンの体の部分が刻印された。これによって硬貨の純度と重さを調べる責任は商売人から国家の支配者へと移行した。おかげでサルディスでは商売が容易になり、取引が迅速に行われたのでより魅力的な場所になり、クロイソスの硬貨はリディア以外でも使われるようになった。信頼に足る最初の通貨を世界に提供したのがクロイソスであり、金本位制の始まりであった。その結果、クロイソスは巨万の富を築き、「クロイソスのように金持ちだ」という俗諺が生まれた。
クロイソスのリディアはペルシア帝国のキュロス2世に亡ぼされるが、ペルシア帝国はリディアの金貨製造技術と貨幣制度をそのまま引き継ぎ、帝国の貨幣制度とした。<ニール・マクレガー/東郷えりか訳『100のモノが語る世界の歴史1 』2012 筑摩選書 p.230-236>
Episode 最後のリディア王クロイソスの名言
「平和より戦争をえらぶほど無分別な人間がどこにいるだろうか。平和の時には子が父の葬いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならない。・・・」このことばは、ヘロドトスの『歴史』に見える、リディアのクロイソス王の言葉である。リディアはアケメネス朝ペルシアのキュロス2世に攻撃され、その王クロイソスは首都サルデスで捕らえられ、火あぶりにされることになった。燃えさかる薪の上でクロイソスがアポロンの神に祈ると、突如雲があつまって大雨になり、火が消えてしまった。キュロス王はクロイソスが神に愛された立派な人間だと知り、彼を薪の上からおろし、「わしの友とならず敵となったのはだれのしわざか」と訊ねた。それに対する答えの一節が先ほどの言葉であった。その言葉を聞くとキュロス王はクロイソスを傍らに座らせ丁重にもてなし、その後もご意見番として重んじた。<ヘロドトス『歴史』巻一 87節 松平千秋訳 岩波文庫(上)p.72 >
Episode クロイソス王とタレース
クロイソス王と同時代のミレトスの自然哲学者タレースは、王のためにハリュス河の流れを変えることによって橋を架けることなしにその河を渡れるようにしてやった。またタレースはリディアとメディアの戦いの時に、日蝕が起こることを予言してみごとに的中させたという。<ラエルティウス『ギリシア哲学者列伝』上 岩波文庫 p.40>Episode 賢者ソロンとクロイソス王
クロイソスは、ソロンが、僭主ペイシストラトスと対立してアテナイを去ったことを知り、サルデスに招いた。そのときの話。クロイソスは自分をきらびやかに飾り立てて玉座につきながら、ソロンに向かって、何かこれよりも美しい観物を観たことがあるかと訊ねた。するとソロンは、「見ましたとも、雄鶏や雉子や鳩をね。これらの鳥は、もって生まれた色で一万倍も美しく身を飾っていますからね」と答えた。<ラエルティウス『同上書』 p.50>