チャオプラヤ川
タイの中心部を北から南に流れシャム湾に注ぐ大河。タイの歴史の舞台となっている。
流域全域がタイに属する大河。日本ではメナム川ということもあるが、メナムとはタイ語で川を意味し、固有の河川名としてはチャオプラヤ川が正しい。支流のピン川(上流にチェンマイがある)とメイン川(この流域にスコータイがある)が合流する地点から河口までをチャオプラヤ川といい、下流にアユタヤ朝が港市国家として栄え、河口にラタナコーシン朝時代に新都バンコクが作られた。河川交通路としても南北を結ぶ動脈の役割があり、この川沿いにタイ人が定住し、最初の国家スコータイ朝を成立させるのは13世紀ごろとされているが、彼らはそれ以前に雲南地方から南下してきたものと考えられている。それ以降、チャオプラヤ川流域は、タイの歴史が展開される場所であった。
19世紀中頃、タイがイギリスとの間でボウリング条約を締結して開国してから、チャオプラヤ川河口のデルタの水田地帯で生産されるコメが重要な輸出品となり、タイ経済を支えることとなった。
19世紀中頃、タイがイギリスとの間でボウリング条約を締結して開国してから、チャオプラヤ川河口のデルタの水田地帯で生産されるコメが重要な輸出品となり、タイ経済を支えることとなった。