印刷 | 通常画面に戻る |

木版印刷

中国の唐代に始まり、宋代に発達・普及した印刷技術。一枚の木版に文章を彫った。主として仏教経典の印刷に用いられ、11世紀の高麗版大蔵経が最も優れており、日本にももたらされた。

 元版に彫った文字を紙に写すことは、石に彫ったものを拓本とするものから始まり、唐代の初め(7世紀)に金属板あるいは木版に墨を塗り、その上に紙をあてて刷り写すことが行われるようになった。本格的な木版印刷は、一枚の木版に数行の漢字の文章を凸版で彫り、一枚のに印刷する「一枚刷り」で、8世紀後半に唐代に広く行われるようになった。製紙法の普及と共に、暦や経典が大量に印刷されるようになった。

唐の木版印刷

 現在のところ、伝存の最初の完全な刊本は、大英博物館所蔵の『金剛般若波羅密経』で、868年(唐の咸通9年)5月11日王玠という人物が両親の供養のため注文し、木版で彫られたもので印刷され、端と端を続けて貼り付けた数葉からなる、長さ490cm、幅30cmの巻子本である。オーレル=スタインが敦煌で発見したものである。オーレルが収集したものには、四川省成都でおそらく粘泥版で印刷されたと思われる882年の暦(具注暦)もある。<エリク・ド・グロリエ/大塚幸男訳『書物の歴史』1992 文庫クセジュ p.29>

Episode 現存する最古の印刷物は日本にある

 刊本というかたちではない印刷物として現存する最古のものは、中国ではなく、日本に残っている。孝謙天皇の勅願で百万の三重小塔を作ることが計画され、六年の歳月を経てこれが完成され、奈良を中心とした諸寺に寄進された。それは770年のことで、現在法隆寺に三百基が残っている。この小塔の中には災厄をはらう呪言を印刷した陀羅尼が納められており、これが最古の印刷物である(百万塔陀羅尼)。この印刷技術は唐から伝わったものと考えあれるが、中国で現存する最古の印刷物は敦煌出土の868年に印刷された金剛般若波羅密経である。<藪内清『中国の科学文明』岩波新書p.114>

宋代の木版印刷

 宋の時代には文治主義のもとで、民間の印刷業が発達した。特に『漢訳大蔵経』が宋代に刊行が始まった。宋代に刊行された大蔵経を「宋版」という。 → 宋代の文化 

朝鮮の木版印刷

 仏教を国教とした朝鮮の高麗においても10~13世紀に木版印刷による経典の印刷が盛んに行われた。高麗版大蔵経は11世紀に国家事業として刊行され、モンゴルの侵攻の際に焼失したが、13世紀に再刊され、現在も海印寺に所蔵されている。高麗の木版印刷は、日本にももたらされ、日本の仏教やその他の文化にも大きな影響を与えた。
 なお、木版印刷とは別に活字印刷術があったが、こちらはやはり11世紀の中国の宋時代に始まった。始めは土や木で作られていたが、高麗で金属活字が出現したが、材料など詳細は分かっていない。さらに朝鮮王朝(李朝)で銅活字による本格的な活字印刷が始まっている。西欧では、中国の技術が伝わり、ルネサンス期にグーテンベルクの活版印刷術によって急速に印刷が普及した。

出題 2004年度 センター試験追試 第4問 C

海印寺高麗版大蔵経
韓国海印寺に保管されている大蔵経の版木
設問 次の文の空欄(ア)(イ)に入る語句をあげ、さらに下線部に関する下の問に答えよ。
 1487年、足利義政は大蔵経を入手するため使者を朝鮮に送った。朝鮮国王への書簡には「わが国にはいまだ大蔵経の版木がなく、大蔵経を入手しようとするときは必ず貴国に求め、これまで少なからず頂いております。」とある。大蔵経とは、仏教聖典を集成したもので、中国では木版印刷の普及した( ア )の時代に刊行されている。同じころ、朝鮮半島を支配した( イ )でも、11世紀には大蔵経の版木が作られた。この版木は13世紀にモンゴルの侵攻によって焼失したが、まもなく再彫され、義政の書簡にあるように、それを用いて印刷された大蔵経がしばしば日本にもたらされた。8万枚を超える大蔵経の版木は現在も韓国に残っているく右図参照>
問 下線部に関連して、東アジアの印刷・出版文化について述べた次の文a~cの正誤を判定しなさい。
 a 唐では、世界最古とされる金属活字が作られた。
 b 朝鮮王朝(李朝)では、銅活字による印刷が行われた。
 c 清末に刊行された雑誌『新青年』は、辛亥革命に大きな役割を果たした。

解答

印 刷
印刷画面へ
書籍案内

藪内清
『中国の科学文明』
1970年 岩波新書

エリク・ド・グロリエ
/大塚幸男訳
『書物の歴史』初刊 1954
文庫クセジュ 1992