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高麗版大蔵経

朝鮮の高麗時代、11世紀に作られた仏教経典の印刷用木製原版。モンゴルの侵攻で焼失したが1251年に再刊した。15世紀には日朝貿易で多く日本に輸入された。

 こうらいはんだいぞうきょう。朝鮮の高麗時代を代表する文化遺産。大蔵経とは一切経とも言われ、経(釈尊の教え)、律(僧侶の生活規範)、論(経の注釈書)の「三蔵」と解説書などをすべて含む仏教典籍の総称である。中国では10世紀後半、宋の太祖(趙匡胤)の時に漢訳大蔵経木版印刷による刊行が着手された。高麗では、第8代顕宗の1020~21年頃、大蔵経の刊行に着手し第13代の宣宗の1087年に完成した。いずれも国家的な大事業として取り組まれた。これを初雕しょちょう高麗大蔵経ともいう。 → 活字印刷

モンゴル軍の侵入による焼失と再刊

高麗版大蔵経
海印寺に所蔵される高麗版大蔵経
 ところがその版木は、1231年モンゴル軍の高麗侵攻の際にすべて焼失ししてしまった。高麗の崔氏政権は、モンゴルの第3次侵略がはじまった翌年の1236年に、仏力による加護を得ようとして大蔵経の再刊に着手した。再刊に当たっては初雕高麗大蔵経の刊本とともに、北宋や遼で敢行された刊本を参考に厳密な校訂が行われた。ようやく16年かかって1251年(高宗38年)に完成した。これが海印寺に現存する版木であり初雕高麗大蔵経と言われている。
 戦乱の中で莫大な財力・労力を傾注したのは、支配者層にとって大蔵経の刊行は救国の事業と考えられたからである。高麗時代は仏教は国教であり、国家鎮護の法として国王・文武百官以下広く民間に信仰されていた。
 この復刻された経版は、その後長く大切に保存され、いまも南朝鮮の海印寺に残っている世界的仏教資料である。日本の室町・戦国の大名・豪族も朝鮮に使者を送りなんどもこの版木で刷った大蔵経をもとめた。それが現在、日本各地にも残っている。<旗田巍『元寇』中公新書 P.33-34による> → モンゴルの日本侵攻(元寇)

日朝貿易で日本に

 李成桂が建国した朝鮮王朝倭寇の禁圧に力を注いだが、そのためには朝貢貿易とともに民間貿易も認めた方がよいと判断し、室町幕府との間でさかんに貿易を行った。室町幕府の将軍は第三代足利義満以来、「日本国王」として朝貢し、朝鮮国王から下賜品を受けた。その時最も喜ばれたのが高麗版大蔵経の印本であった。15世紀を通じて多くの大蔵経が日本にもたらされ、それは将軍や大名のステータスを高めるのに役立っていた。しかし印本に限りが有るため、次第に下賜されなくなり、ますます希少価値が高まると、日本側には将軍や大名の偽使になりすましてそれを得ようとする者もあらわれた。 → 日朝貿易の項を参照。

世界遺産 海印寺の高麗版大蔵経

 海印寺(ヘインサ)は韓国南部の慶尚南道陜川郡伽耶面にある。新羅の僧、義湘が802年に伽耶山山中に建立した。高麗版大蔵経(高麗八萬大蔵経)の版木が保管されており、それが、1995年に世界遺産に登録された。この版木は高麗がモンゴルに侵攻されたときに焼失し、宮廷を江華島に移してから、1236年に再び作り始め、1251年に完成した。1398年に海印寺に移され、大蔵経経板閣に保管されている。 → 世界遺産 海印寺 YouTube

出題① 2004年 東大 第3問 問4

 韓国の海印寺には、13世紀に作られ、ユネスコの世界文化遺産に登録された8万枚をこえる版木がある。この版木による印刷物の名称を記せ。

解答  

出題② 2020年 九州大 第3問 問6

 現在大韓民国の海印寺に版木が伝わる高麗時代の仏典全集(再雕高麗大蔵経)は、世界的な文化遺産として知られている。これは高麗人による周辺地域との文化交流の成果でもあり、13世紀の制作時には、テキスト校訂のため、11世紀に高麗で作られた初雕高麗大蔵経と、北宋の大蔵経、さらには北宋と同時代の北方遊牧民の国家で作られた大蔵経とが参照された。この北方遊牧民族の国家は、10世紀初めにモンゴル高原南東部で誕生し、12世紀初めまで存続したが、(1)その名称と、(2)太祖の称号をもつその建国者の名前を答えなさい。

解答  


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書籍案内

旗田巍
『元寇―蒙古帝国の内部事情』
1966 中公新書