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金属活字

13世紀の朝鮮、高麗で木活字をもとに金属活字が発明された。1377年の『直指心体要節』が現存する金属活字印刷の最古の例。グーテンベルクの活版印刷よりも早かった。

高麗の金属活字

 金属で活字を作る技術は、13世紀の朝鮮半島の高麗時代に発明された。高麗では仏教の保護政策の一環として大蔵経の刊行が行われ、印刷術が発達した。中国の宋では木製活字が使われ活字印刷が始まっていたが、木活字は耐久性に限界があり、彫るのも大変な労力が必要であった。それらを解決するものとして金属活字が発明された。13世紀はモンゴルの高麗支配という苦難の時代であったが、木版印刷(活字印刷ではない)による高麗版大蔵経の刊行などが行われており、金属活字の考案も高麗時代の文化の高さを示す事例であった。
世界最古の金属活字印刷 高麗で金属活字の技術が生まれたことは記録の上でも間違いないと考えられているが、残念ながら13世紀の段階では金属活字そのものは、遺品があると発表されたがまだ承認されていない。また金属活字で印刷した刊本も見つかっていない。最も古い金属活字での刊本とされるのが、1974年にフランス国立図書館で発見された『直指心体要節』で、1377年に刊行されたものであることが判り、現在、世界最古の金属活字印刷本として、ユネスコ世界記憶遺産に登録されている。これが最古とすれば、グーテンベルクの金属活版印刷術による42行聖書が1455年ごろの刊行なので、それよりも78年前のことになる。 → 活字印刷

朝鮮王朝の銅活字

 朝鮮王朝(李朝)の時代になると、太宗の1403年に金属活字鋳造所が造られ、次の世宗の時には書籍の出版が盛ん行われ、訓民正音の創作とともに朝鮮文化の高さを示している。ヨーロッパのグーテンベルクによる活版印刷術が実用化されるのは1450年代であり、普及するのは16世紀の宗教改革の時代であった。
(引用)金属活字のつくりかたは、まず木枠をつくり、その中に鋳造用の砂をかため、これに木の活字をおしつけて鋳型をつくる。そこにとかした金属をそそぎ、かたまったのをひきだして形をととのえた。このような金属活字の製造は、少なくとも13世紀もは始まったようで、ヨーロッパの金属活字発明より200年も先立つものであった。金属活字の発明は、中国、日本など周辺諸国にも大きな影響を与えた。日本は室町時代、朝鮮に使いを送るたび、大蔵経や書物をねだっていたが、16世紀末の豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、多くの活字と本、それに印刷の技術者を略奪してつれ帰っている。悲しいことだが、それによりはじめて、日本でも多くの本を印刷することができるようになったのである。<岡百合子『中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史』平凡社ライブラリー p.116>

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岡百合子
『中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史』
平凡社ライブラリー