単于
匈奴など、遊牧国家の君主の称号。冒頓単于などがよく知られている。
ぜんう。匈奴帝国など、騎馬遊牧民である遊牧国家の君主の称号で、「広く大きい」の意味のモンゴル語からきた。鮮卑、氐、羌でも単于が用いられた。
匈奴帝国の単于では、前3世紀末のその全盛期に漢の高祖(劉邦)の軍を破った冒頓単于がいる。
しかし、最近の研究によると、可汗はすでに鮮卑が建国した北魏で用いられていたことが明らかになっており、山川出版の世界史用語集も「鮮卑以降、君主の称号としては可汗(カガン、ハガン)がもちいられた」となっている。
匈奴の君主名
単于の正式名称は、撐犂孤塗単于(とうりことぜんう)であって、撐犂(とうり)とは天(モンゴル・トルコ語の天 tengri にあたる)の意であり、孤塗とは子(ツングース語の子 guto 、またはエニセイ語の (bi)kjal にあたるかと考えられている)の意である。また、単于とは広く大きい(モンゴル語の、ひろげたる delgüüにあたる )の意であって、あわせて「天より生まれたる大君主」となり、中国の天子・皇帝に相当する名称であるとされる。匈奴帝国の単于では、前3世紀末のその全盛期に漢の高祖(劉邦)の軍を破った冒頓単于がいる。
単于から可汗へ
遊牧国家の君主の称号は、匈奴帝国に代表される「単于」が用いられていたが、柔然や突厥などの国家からは可汗(カガン)と称されるようになり、モンゴル帝国のハン位につながる、とかんがえられてきた。しかし、最近の研究によると、可汗はすでに鮮卑が建国した北魏で用いられていたことが明らかになっており、山川出版の世界史用語集も「鮮卑以降、君主の称号としては可汗(カガン、ハガン)がもちいられた」となっている。