月氏
中央アジアで活動し、広く移動した遊牧民族。民族系統は諸説あり。パミール高原西部に大月氏国を建国。そこからインドに進出しクシャーナ朝を作った。
民族名を月氏という遊牧民族であるが、その系統はイラン系ともトルコ系とも言われるが、モンゴル系説、チベット系説もあり、はっきりしない。月氏というのは中国での呼称であり、一説にはスキタイをあらわすアッシリア語のスクジャを移したものとも言われている(榎一雄説)。もしそうであれば、月氏もまたイラン系民族ということになる。
月氏はアム川上流のオアシス都市を、土着の五人の有力者たち(翕侯、ヤブグ)に支配させていたが、やがてその五翕侯の一人、クシャーン・ヤブグが月氏の支配を覆して、クシャーナ朝を建設、北インドに進出する。<間野英二『中央アジアの歴史』新書東洋史 1977 講談社新書 p.22,77-78>
匈奴、烏孫に圧迫され西に移動
中国の戦国時代頃に甘粛地方・タリム盆地東部(パミール高原の東側)で中継貿易に活動していたが、前2世紀の末に冒頓単于率いる匈奴がこの地位に進出したため、月氏の主力は西方に逃れ、天山山脈の北に移動した。ところが、さらに北方から南下した烏孫に圧迫されてパミール高原西方のアム川下流から上流域に移った。この移動した部族を大月氏と言い、河西地方(甘粛)に残ったのが小月氏と言われる。大月氏国とクシャーナ朝
匈奴・烏孫によって追われて、アム川上流のパミール高原西部に入った月氏が建国した大月氏国には、2世紀の後半に漢の武帝が張騫を派遣して、対匈奴作戦での同盟をもちかけたが、それを断ったことが知られている。月氏はアム川上流のオアシス都市を、土着の五人の有力者たち(翕侯、ヤブグ)に支配させていたが、やがてその五翕侯の一人、クシャーン・ヤブグが月氏の支配を覆して、クシャーナ朝を建設、北インドに進出する。<間野英二『中央アジアの歴史』新書東洋史 1977 講談社新書 p.22,77-78>