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遊牧民

乾燥、草原地帯で家畜の遊牧に従事している人びと。農耕民族と異なった社会を形成し、世界史上、重要な役割を担った。

 遊牧というのは、牧畜の一形態で、家畜の飼育に適した環境を求めて、季節ごとに移動を繰り返す牧畜形態を言う。けして無計画に移動するのではなく、ほぼ一定の地域を一定のサイクル(夏営地と冬営地)で移動するのが通常であるが、農耕民や定住牧畜民と違って都市や村落を形成せず、常に移動に便利なテント式の住居(ゲルとか、パオという)を用いる。家畜は羊、山羊、馬、牛、ラクダが主なもので、食料、住居などあらゆるものを家畜に依存する。通常は部族ごとの集団で行動し、血縁的原理が重視される社会である。

世界史上の遊牧民

 遊牧社会では富の蓄積には適さず、自然条件の変化に左右されやすい生活を送っているので、農耕民との交易による物資の調達は重要であり、時として略奪行為に及ぶことが多かった。交易と略奪の境界はあいまいだったようである。彼らは騎馬技術に優れているので、それを軍事力に活用して征服活動を行ったのが騎馬遊牧民である。彼らは草原の道(ステップ=ロード)ぞいにたびたび遊牧国家を造り出している。
スキタイと匈奴 世界史上、重要な遊牧民は、南ロシア草原で活動し、西アジアや中央アジアにも進出したスキタイ(スキュタイとも表記)がいる。彼らは高度な騎馬技術を持ち、豊かな動物意匠をもつ独特なスキタイ文化を残している。歴史的にはアッシリアやアケメネス朝ペルシアとも接触し、ギリシアの歴史家ヘロドトスの『歴史』にも記録が残されている。ユーラシアの東部では匈奴が現れ、農耕民族である漢民族に大きな脅威となり、前3世紀末には冒頓単于のもとで大帝国を築き、漢帝国に対抗した。<林俊雄『スキタイと匈奴 遊牧の文明』2007 興亡の世界史 2017 講談社学術文庫>
イラン系とトルコ系、その他 その他、西アジアではイラン系民族パルティア、中央アジアではトルコ系民族突厥ウイグル、東アジアではツングース系とモンゴル系などの血を引く鮮卑北魏を建てるなど、遊牧国家がうまれている。
遊牧国家の消滅 西アジア・中央アジアの乾燥・草原地帯で広範囲に活動した遊牧民には、アラブ人モンゴル人のように大帝国を建設した例もあるが、彼らは次第に商業活動や、定住して農耕民に転換していったため、遊牧国家はしだいに消滅した。現在では少数の遊牧生活を送る部族が西アジア、中央アジアの他、アフリカなどに存在している。彼らの中には必ずしも騎馬ではなく、トナカイを家畜化して遊牧生活を続けている人々や、家畜とともに移動するアフリカの遊牧民も存在している。

遊牧民の生活

(引用)かれら遊牧民は、家畜の毛皮とか皮革とかでつくられ、騎馬と防寒とに適した袖つき短衣やズボンをまとい、羊・馬などの家畜の肉を食べるほかに、馬乳を発酵させたいわゆるクミズを飲み、また、バター・チーズなどの乳製品をこのみます。かれらの住居は、家畜の毛を材料とするフェルトや皮革でおおわれた、解体自在の移動式テントであり、その縫い糸や弓の弦は家畜の腱から、狩猟用の矢じりなどはその骨から、また、各種の容器はその皮革から、それぞれこしらえられました。いや、それだけではありません。家畜の糞を乾燥させれば、それは、砂漠地方に生える灌木とともに、すぐれた燃料となり、また、一種の羊の蹄はそのまま酒器として、さらに革袋は川をわたるさいの舟としても、つかわれたのです。
 このように、遊牧民のくらしが、なにからなにまですべて、家畜との共同生活の範囲内でまかなわれるよう組み立てられているとするならば、その家畜は、かれらにとって、ただ一つの基本的財産であったといっても、けっして言いすぎではないでしょう。<護雅夫『遊牧騎馬民族国家』1967 講談社現代新書 p.32>

参考 現代のノマド

 遊牧民を英語ではノマド Nomads 、あるいは pastoral nomads という。遊牧はノマディック=パストラリズム、あるいは単にノマディズムといっている。<林俊雄『スキタイと匈奴 遊牧の文明』2007 興亡の世界史 2017 講談社学術文庫 p.13>
 最近、nomad はノマドワーカー、つまり特定の会社などに属さずにはたらく人、を意味するようになった。