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三ハン国の形成

広大なモンゴル帝国に1240年代~70年代にいくつかのハン国が成立した。元を宗主国とする一体性は維持されたが、14世紀後半には、元とキプチャク、チャガタイ、イルの3ハン国は抗争した。

モンゴル帝国系図

モンゴル帝国 帝室の系図
①~⑤大ハーンの即位順

 モンゴル帝国の統治者大ハーンの地位は、チンギス=ハンの血を引く一族の優れた者が、クリルタイの全員一致の推戴によって就任することとなっていた。1227年8月にチンギス=ハンが亡くなると、その地位をめぐって、4人の息子(ジョチ、チャガタイ、オゴタイ、トゥルイ)の間でまず争いが起こり、1229年には第2代にオゴタイが選出されたが、その後も内紛が絶えなかった。第3代はオゴタイの子グュクが継いだがすぐに死去(毒殺の疑いもある)、1251年、第4代にはトゥルイの子モンケが即位した。
 モンゴルの国家はモンゴルではウルスと言われ、全体のモンゴル国家は「大モンゴル=ウルス」と言われたが、分立した国家もそれぞれウルスといわれた。

ウルスの分立

 このとき、オゴタイとチャガタイの一族は中央から排除された。チャガタイはチャガタイ=ハン国(チャガタイ=ウルス)を形成したが、大きな勢力ではなかった。またジョチ(チンギス=ハンの実子ではないといううわさもあった)一族も中央から遠ざけられて西方に拠点を移し、その子バトゥがロシア遠征を行い、1243年にキプチャク=ハン国(父の名を取ってジョチ=ウルスという)をつくった。モンケ=ハンの弟フラグは西アジアに遠征、中央で第5代に兄のフビライ=ハンが就任すると、そのまま1258年イル=ハン国(フラグ=ウルス)をつくってとどまった(イル=ハン国は厳密には1260年の成立)。

フビライの覇権

 1259年にモンケ=ハンが死去すると、その子たちが幼少であったため、モンケの弟たちが大ハーンの位の継承に乗りだし、フビライアリクブケの二人がそれぞれ別にクリルタイを開催して大ハーンに選出されるという事態になった。両者は激しく争った結果、1264年にフビライが勝利した。
 フビライは、同年に都を大都(現北京)に移し、さらに1271年には国号を中国風に(大元ウルスという)と改めた。

3ハン国=ウルスの形成

 こうしてモンゴル帝国は元とハン国(ウルス)に分かれることとなり、次第に独自性を強め、互いに争うようにもなる。フビライ=ハンに対しては、オゴタイ家のハイドゥのように反発する勢力も多く、フビライ=ハンの死後、1300~05年のハイドゥの乱が起こった。ハイドゥの乱が鎮圧されてからはモンゴルと中国を支配する本家で大ハンの元と、中央アジアのチャガタイ=ハン国、西アジアのイル=ハン国、カザフ草原からロシアにかけてのキプチャク=ハン国という3ハン国が分立した。
 これらのハン国=ウルスは、対立しつつも共生する関係であり、モンゴル人の支配という秩序が成立し、14世紀前半まではタタールの平和(パクス=モンゴリカ)といわれるユーラシアの安定がもたらされた。
 この分立は、広大な領土を一族で分割統治するためのものであり、あくまで本家の元を宗主国として、他のウルスはそれに大元ウルスに従属しており、この段階でモンゴル帝国が分裂したのではないことに注意しよう。

参考 「4ハン国」とは言わなくなっている

 モンゴル帝国を構成するハン国は、従来、オゴタイ=ハン国、チャガタイ=ハン国、キプチャク=ハン国、イル=ハン国を並べて「4ハン国」と言っていたが、現在は、オゴタイ=ハン国はすぐに滅びて実体がなかったとしているので除外し、「3ハン国」とし、またモンゴル語で国を表す「ウルス」という用語も高校の教科書に見られるようになっている。ハン国=ウルスは固定的なのもではなく、実際のウルスは常に変動した。一貫してウルスとして定着したのは、大元ウルスと西のジョチ=ウルス(キプチャク=ハン国)、フラグ=ウルス(イル=ハン国)だけである。<杉山正明『モンゴル帝国の興亡』1996 下 講談社現代新書 p.67>

3ハン国のイスラーム化

 中国本土とモンゴル高原を支配した元(大元ウルス)は帝国としての一体性や、駅伝によって結ばれた経済的一体性は維持していたが、次第に違いが明確になっていった。それは、元以外の三ウルスが支配した地域は、イスラーム教圏であったため、支配層であるモンゴル人が現地人と同化していく過程で、ウルス自体がイスラーム化していったことであった。ロシア草原を支配したキプチャク=ハン国、イラン高原を支配したイル=ハン国において顕著であったが、イル=ハン国は1295年にイスラーム教に改宗、キプチャク=ハン国も14世紀前半にハンが正式にイスラーム教に改宗している。14世紀半ばには中央アジアのチャガタイ=ハン国もイスラーム化が進むと共に14世紀後半には東西に分裂し、弱体化した。
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杉山正明
『モンゴル帝国の興亡』下
講談社現代新書