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カロリング=ルネサンス

8世紀末~9世紀はじめ、フランク王国カール大帝の保護による文芸の復興。

 フランク王国カロリング朝カール大帝アーヘン宮廷を中心に、聖職者に正しいラテン語の知識を与えることなどを目的として始まった文化復興の運動。中世のゲルマン社会で衰退した古典文芸を復活させようとした面をとらえ、後のルネサンスの先駆けとして、カロリング=ルネサンスと言われる。中心になったのはイギリス生まれの神学者でカール大帝に招かれたアルクィンである。
 カール大帝のアーヘンの宮廷に集まった学者(学僧)には、イングランドのヨークシャー司教区の修道士で高いラテン語の知識で知られていたアルクィンが有名であるが、それ以外にもアイルランド、イタリア、スペインなどから学識ある若い修道士が招かれた。またフランク人アインハルトは宮廷の建築を担当して優れた才能を発揮しただけではなく、カール大帝の事績を記した『カール大帝伝』を残した。また、カール大帝の宮廷で用いられていた、アルファベットの小文字体であるカロリング小字体は、現在の小文字のもととなった。 → 14世紀以降のルネサンス

カロリング=ルネサンスの特色と内容

カロリング=ルネサンスの特色は次の二点にまとめることが出来る。
  • カール大帝の意図から生まれた、フランク王国の宮廷内での動きである。
  • 教会、修道院におけるラテン語による古典文化の復興を目指したものである。
またその内容には次のようなことを挙げることが出来る。
  • 学校の設置と学問の奨励 カール大帝はアーヘンの宮廷だけでなく、各地の司教座、修道院、さらには町や村にも学校を設け、学問を奨励し、官吏と聖職者の養成、学芸の向上に努めた。アルクィンはアーヘンの宮廷学校を古代アテネのアカデメイアを凌ぐものにしようとした。
  • ラテン語の復興と教育 カール大帝はローマ教皇との協力によりローマ帝国の復興をめざしたが、当時の現実は長いゲルマン人の支配により、古代ローマ文化の遺産であるラテン語にはゲルマン語の俗語が入り込み、乱れてしまっていた。そこでカール大帝はまずラテン語の復興と、その教育にあたった。アーヘンの宮廷学校や各地の学校ではラテン語の正しい文法と表記法を学ばせた。
  • カロリング小字体の創作 また、ローマ字の表記法が修道院ごとにバラバラで乱れていたので、従来のローマ字の大文字以外に小文字の表記法を統一するため、カロリング小字体を作った。

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