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聖職売買/シモニア

中世ヨーロッパでキリスト教の聖職者の地位が金銭で売買されたことで、教会の腐敗の一つとされ、11世紀のグレゴリウス改革で否定された。

 中世のローマ=カトリック教会の聖職者はきびしい階層制組織(ヒエラルキア)のもとにあったが、その上位になれば、所領をもち、豊かな財力を持つことが出来た。そのため、聖職者の地位を金銭で売買する、いわゆる「聖職売買」(シモニアといわれた)が次第に行われるようになった。聖職者と言っても、その任命権ははじめ国王や諸侯の「俗人」が握っており、また俗人が司教や修道院長などの高位の聖職者を兼ねることも多かったので、任命される際に金銭を納めることが一般に行われるようになった。また、聖職者の中には、俗人と同じように妻を持ち、信仰心が深くなくとも高い地位を買うことがあった。これは本来のイエス時代のキリスト教からはまったく堕落した状態と言わねばならないが、11世紀ごろには聖職売買や聖職者の妻帯は誰も疑問に思わない普通の状態となってしまった。
シモニア 聖職の売買は、「シモニア」といわれた。それは、新約聖書の使徒言行録第8章9~24節に、シモンという魔術師が、聖霊を人びとに授ける能力をペテロから金で買おうとした話からきている。ペテロは「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手にいれられると思っているからだ。・・・この悪事を悔い改め、主に祈れ。」といっている。

グレゴリウス改革

 10世紀に始まるクリュニー修道院を中心とした修道院運動では、このような聖職売買(シモニア)は、聖職者の妻帯(ニコライスム)とともに、厳しく非難されるようになった。クリュニュー修道院出身者がローマ教会で重要な働きをするようになると、その影響を強く受けた教皇レオ9世やグレゴリウス7世は、聖職売買と聖職者の妻帯を禁止し、すでに金銭でその地位を得ていたものや妻帯している者を罷免した。
叙任権闘争への転化 とくにグレゴリウス7世の改革はきびしく、聖職者の反発もおこった。それらをキリスト教の危機ととらえたグレゴリウス7世は、聖職が売買される原因は、その叙任権を俗人である神聖ローマ皇帝以下の俗人がもっているところにあると考え、1075年に教皇勅書を発して、俗人の聖職叙任権を否定した。ここから皇帝と教皇との叙任権闘争がおこり、グレゴリウス7世は命令を拒否した神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世破門とした。破門を解いてもらおうとしたハインリヒ4世がグレゴリウスの許しを乞うこととなったのが、1077年のカノッサの屈辱であった。
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