西ヨーロッパ中世世界の変容
11世紀の西ヨーロッパで重量有輪犂や三圃制農業が普及して農業生産力が向上し、その結果人口が膨張して、内部の開拓や周辺への膨張が始まった。
西ヨーロッパの農業技術の改良と人口増加
11世紀の西ヨーロッパで、「中世農業革命」とも呼ばれる一連の農業技術の革新が起こった。紀元1000年前後からフランスのピレネー地方東部やラインラントで鉄の生産が盛んになり、12世紀にはヨーロッパ全体に広がり、13世紀には農村で鍛冶屋が農機具の刃や斧などを供給するようになった。この鉄器具は新たに登場した大型の重量有輪犂に用いられた。12世紀には、犂を引かせる家畜として、牛から馬に代わりスピードが向上した。また、カロリング朝の大所領に見られた三年輪作システムが各地に普及して、13世紀前半には村の耕地を区画整理して全体を三つの部分に分けて、村落共同体として共同耕作する三圃制が出現し、農民は自分の分地で重量有輪犂を家畜に引かせて耕作するようになった。水車も11世紀以降飛躍的に普及し、粉ひきだけでなくいろいろな動力として用いられた。12世紀末には風車も現れ、それまで人力や畜力に頼っていた作業に取って代わり、農民の生活を一変させた。このような技術革新は穀物の収穫高を、およそ3~4倍向上させ、農民の可処分所得を増大させ、またブドウなどの商品作物の栽培も可能にして、多角的な農業が展開されるようになった。<堀越宏一『中世ヨーロッパの農村世界』1997 世界史リブレット>西ヨーロッパ世界の膨張運動
11世紀の後半から、ヨーロッパ世界では外敵の侵入も終わり、封建社会の仕組みが出来上がって、社会の安定期を迎えた。あわせて気候の温暖化という自然条件にも恵まれた結果、人口は増加し、人口の増加は耕地の拡大をもたらした。11世紀後半から13世紀前半までの約2世紀間は、大開墾時代といわれ、森林や原野が開かれ、低湿地は埋め立てられていった。この時期以降は、封建社会のあり方もそれ以前の前期封建社会に対し、後期封建社会として区分される。このような人口増加・耕地拡大は、三圃制農業の普及という生産力の発展を背景としていた。さらに生産力の発展は、封建社会の農業中心の自給自足経済のあり方を変え、都市の商工業を発展させ、貨幣経済を復興させることとなる。それが東方貿易(レヴァント貿易)を盛んにさせ、商業の復活(商業ルネサンス)といわれる状況につながった。
また、ヨーロッパの人口増加は、その周辺への進出や植民の運動を引き起こした。11世紀末に始まる十字軍運動や、同じ時代に展開されるドイツ人の東方植民、イベリア半島でのレコンキスタ、オランダの干拓などの動きがそれである。またキリスト教徒の巡礼が盛んになったこともその運動の一面であった。