印刷 | 通常画面に戻る |

フィルマー

17世紀前半のイギリスの政治思想家。チャールズ1世に仕え、議会と対立した国王を支えて、王権神授説を主張した。

 Robert Filmer 1588?~1653 ケンブリッジ大学卒業後、ステュアート朝のチャールズ1世に仕え、王権神授説の理論を立てて王政を支えた。チャールズ1世は王権の絶対性を信じ、ジェントリーの勢力が強くなっていた議会が1628年に決議した権利の請願を無視し、専制的な政治を行おうとした。そのころ、イギリスの絶対王政を批判する理論としてはホッブズ社会契約説や、信仰の自由を説くミルトンがあり、またオランダのグロティウス海洋自由論でイギリスの海上貿易独占を批判していた。これらに対して、イギリスの王権の正当性を主張したのがフィルマーであった。

フィルマーの王権神授説

 フィルマーの主張は、その死後の1680年に発表された『家父長権論』(パトリアーカ、すなわちわが王の自然権)などによく現れている。その主張である王権神授説は、王権の根拠はキリスト教の旧約聖書で人類の祖とされるアダムに由来するというものであり、家父長(族長)に従うのは人間の自然の行動であるというものであった。フィルマーに言わせれば「国王は族長の後継者であり、その臣民の父なのであるから、いかなる謀反も親殺しにひとしい」<アンドレ・モロワ『英国史』下 新潮文庫 p.479>ということであった。
 しかし、国王殺しは父親殺しだ、というフィルマーの主張はピューリタン革命の嵐の中で消え去り、チャールズ1世は1649年クロムウェル政権のもとで処刑された。
 フィルマーの家父長権を根拠とする王権神授説は王政復古期に復活し、チャールズ2世・ジェームズ2世の王政をささえたが、名誉革命期の社会契約論の代表的思想家であるロックは、『統治二論』によって徹底的に批判した。
家父長制論の消長 イギリスにおいてはピューリタン革命での国王処刑・共和政実現から、王政復古・名誉革命をへて王権神授説は姿を消し、王権の根拠を法という社会契約にもとめる立憲君主政が確立していく。フランスにおいては王政そのものが倒され、紆余曲折を経ながら19世紀には共和政治の時代へと転換する。現代ではさすがび王政神授説をかかげる政権は存在していないようだが、フィルマーの主張した家父長制を人間社会の秩序の根幹であるとする思想は、いわゆる保守主義の根幹的な思想として、その後も頭をもたげてくることがあった。特に20世紀以降は、女性解放運動が広がり、男女の性差を否定する論調が強まると、家父長制の残滓があぶり出されることになった。たとえは現代の日本での夫婦別姓の実現を求める声が強まったことに対して、家族制度の崩壊につながるとしてそれを否定する論調があるのは、フィルマー的な17世紀の思想がまだ残っているためとみられる。
印 刷
印刷画面へ