トーリ党
近世のイギリス議会で生まれた政党で、王政復古の1679~81年にチャールズ2世の後継者として弟でカトリック教徒のチャールズの継承を認める勢力が結集した。その後、王政に批判的なホイッグ党に対抗し、王政など伝統的価値観の重視、国教会支持の保守派として続き、18世紀末にはピットが政権を担った。1830年代に保守党と改称した。
トーリ、またはトーリ党 Tory は、17世紀のイギリス、ピューリタン革命の後にチャールズ2世が即位して王政復古となったが、1679~81年に王位の継承を巡って問題が発生した。チャールズ2世は男性の継嗣がいなかったので、王弟のジェームズ(ヨーク公)を指名した。ところがジェームズはカトリック教徒であったので、イギリス議会にその王位継承を認めない勢力と、認めようとする勢力に分裂が生じた。ぎかいではすでに1673年に審査法を制定してカトリック排除をはかり、1679年には人身保護法を制定して王権を制限し、市民の権利の保護を図っていたので、この王位継承は認められないという意見が強くかった。その中でジェームズの王位継承を合法的として認めた議員がトーリ党と言われ、ジェームズの即位を認めない議員グループをホィッグ党と言った。
トーリの意味
1670年にホイッグ党は王位継承排斥法案を議会に提出しジェームズの即位を阻止しようとしたが、トーリはそれに反対し、議会で否決した。彼らはダンビーを首領とする旧貴族階級が多く、宮廷を基盤としていた。対立するホィッグ党からは「アイルランドの無法者」の意味のトーリ(トーリーとも表記)と言われた。本来は蔑称であったが、次第に自らをトーリと称するようになった。アイルランドにはカトリック教徒が多かったので、カトリックのジェームズを支持したこの一派が多かった。トーリの性格
トーリ党の基本的な性格は王権との協調、国教会信仰、旧騎士階級などの保守派を代表する勢力であったが、ジェームズ2世のカトリック復帰策にはホイッグに協力し、名誉革命では国王の追放を実現、立憲君主政を担う政党になっていった。しかし、18世紀前半にはホイッグ党がハノーヴァー朝を支持し、ウォルポールが出て政権を独占、トーリはジェームズ2世の子孫を国王に復帰させようとするジャコバイトと見做され、勢力はふるわなかった。小ピット
18世紀末のフランス革命期にトーリ党から小ピットなどの人材が現れ、ホィッグの改革に対する保守勢力として政党化が進み、1830年代に保守党へと転身し、20世紀前半までは自由党との、20世紀後半から現在までは労働党との二大政党制の一方の政権担当政党として続いている。 → 政党政治