フィラデルフィア
ペンシルヴェニアの中心都市で、アメリカ独立戦争中に、大陸会議が開催され、独立後一時首都となった。「友愛」を意味するギリシア語から名づけられた。
フィラデルフィア
自由の鐘(liberty bell)
(トリップアドバイザー提供)
アメリカ独立戦争の拠点
本国イギリスの経済的圧迫が強まる中、1774年9月、13植民地(当初は12植民地、後にジョージアが加わる)の代表がこの地に集まり、第1回大陸会議がこの地で開催され、イギリス本国との通商断絶同盟(アソシエイション)を結成、独立の気運が高まり、1775年4月にボストン郊外で衝突し、アメリカ独立戦争が始まった。1775年5月の第2回大陸会議もフィラデルフィアで開催され、ワシントンを司令官に選出、1776年7月には、ジェファソンが起草したアメリカ独立宣言を7月4日に全会一致で採決した。
独立戦争終結後、1787年には憲法制定会議が開催された。フィラデルフィアは、1790年に新首都ワシントン特別区に移転するまでの10年間の首都であった。
(引用)連邦中最大の都市フィラデルフィアは、王領植民地ではなかったので君主制の伝統は弱く、ニューヨークのような「8共和主義者の貴族社会」の勢力は強くなかった。宗教的にも反国教会派の拠点で、科学的研究と合理主義との中心地となっていた。ベンジャミン=フランクリンが発起した「アメリカ哲学教会」が市民を活気づけていた。<ビーアド『新編アメリカ合衆国史』p.150>