ワシントン/コロンビア特別区
1800年からのアメリカ合衆国の首都。ワシントンD.C.。州には属さない連邦直轄地としてコロンビア特別区という。大統領官邸(ホワイトハウス)その他の政府機関が置かれ、アメリカの経済の中心地ニューヨークに対して政治の中心機能を果たしている。
ワシントン GoogleMap
新都市の建設は、フランス人技師でアメリカ独立戦争に参加したランファン大佐が都市計画を立て、キャピトル(国会議事堂)はソーントン、大統領官邸はホーバンがそれぞれ設計した。ジョージア式と植民地様式に、ギリシア・ローマの共和政時代の様式を加味した建設である。1800年12月1日、第2代大統領ジョン=アダムスのときに移転し、初代大統領ワシントンの名を冠し、ワシントンと命名された。
1801年2月、連邦議会は都市ワシントンを中心とした地域の管轄権を譲渡され、どの州にも属さない、連邦議会直轄地として「コロンビア区」District of Columbia とした。コロンビアはアメリカ大陸発見者コロンブスにちなむ。これによって特別な地域となったので、一般にワシントンD.C.とも言われわれるが正式には「ワシントン、コロンビア特別区」がふさわしい。ワシントンは初代大統領ワシントンにちなんでいるが、首都ワシントンで就任式を行った最初の大統領は、1801年のジェファソンであった。
Episode 首都ワシントンの設計に加わった黒人技師
ワシントンは新しい首都の境界を定めて街路の設計をする委員の一人に、自由黒人のベンジャミン・バネカーを選んだ。彼は当時数学者としても、天文学者としても知られていて1791年に国務長官ジェファソンの推薦でワシントンから重要な仕事を任された。バネカーはフランス人技師ランファン少佐や友人のエリコットとともに首都ワシントンDC建設という重大な仕事をなしとげたのだ。<猿谷要『物語アメリカ史』中公新書 p.69-70 1999.11.24記>米英戦争での焼失と再建
1814年8月、ワシントン市は米英戦争のさなか、イギリス軍に攻撃され、大統領官邸以下の官庁が焼かれてしまった。第4代大統領であったマディソンは、戦後その再建に着手し、大統領官邸も再建した。そのとき大統領官邸は外壁を白く塗ったので、「ホワイトハウス」と言われるようになった。現在、ホワイトハウスは大統領執務室とアメリカ連邦政府の中枢として象徴的な存在となっている。ワシントンD.C.の州昇格問題
ワシントンD.C.は1801年以来、アメリカ合衆国の連邦議会直轄地であり、どの州にも属していない。合衆国建国期にこのような措置が取られた理由は、首都がいずれかの州に属してしまうと、その州の発言力が大きくなってしまうことを避けたためと考えられる。また北部出身のハミルトンはニューヨークなど北部の都市を首都とすることを主張していたが、南部出身のジェファソンやマディソンはそれに反対していた。そのため、南部寄りの地域ではあるが、どの州にも属していない「特別な」ところを首都とせざるを得なかったのだった。このような「妥協」によってワシントンD.C.が生まれたわけだが、そのためそこに住んでいた人々は大変に不利な状態に置かれることになった。つまり、どこの州にも属していないということは、州の集合体であるアメリカ合衆国の大統領選挙に参加することと連邦議会に代表を送ることができなくなってしまったのだ。ワシントン市では1802年に自治憲章が制定され、市議会を設置して12人の議員を選出することが認められていたが、1871年に自治憲章は突然破棄され、ワシントン市はコロンビア特別区に統合されて大統領が任命する3人の委員によって運営されることになった。州ではないので他の州のような自治も認められなくなった、ということである。こんなことは民主主義の国アメリカで認められないという声は、その後長くワシントンDCの住民の中に続いた。彼らは政府への請願運動を続け、ようやく1961年にアメリカ合衆国憲法修正第23条によって大統領選挙のための選挙人を選任する権利を認められた。ただし、選挙人の数はもっとも人口の少ない週と同じ3名に限定された。そして1973年にはコロンビア特別区地方自治法によって市長と市議会を有する代議制の地方政府が認められた。実に100年ぶりの自治権回復だった。
しかし、アメリカ連邦議会の議員選出はまだ完全には実現していない。下院議員は一名選出することが出来るが、この議員は州代表ではないので議決権はない(何のための代議員なのか?)。また各州から均等に2名選出される上院議員は、州ではないので選出できない。このような不当な扱いが現代のアメリカにあっていいのか、という声も強い。ついに1982年に住民投票が行われ、多数が「ニュー・コロンビア州」創設に賛成したが、連邦議会はそれを認めなかった。
現在のワシントンD.C.は、人口は70万でそのうちの50%を黒人が占めている。ホワイトハウス、連邦議会、最高裁判所などアメリカ合衆国の中枢が置かれているほか、スミソニアン博物館や美術館が集中している。ポトマック川河畔にはウォーターゲート事件の舞台となったビルがある。最近は都市の西側は白人の富裕層、東地区には黒人の貧困層という棲み分けが見られる。
参考 ワシントンD.C.はなぜ州ではないのか National Geograhic 2020/3/8 記事