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セヴァストーポリ

クリミア半島南端のロシアの要塞。クリミア戦争で、1854年、フランス・オスマン帝国連合軍との激戦地となった。その後もロシア、ソ連の黒海艦隊の軍港として続き、1991年のソ連崩壊でウクライナの特別市となったが、2014年、ロシアのプーチン政権がクリミア半島とともに併合した。

セヴァストポリ GoogleMap

セヴァストーポリ(セバストポリ)はクリミア半島の南端、黒海に面した都市で、ロシアの南下政策の拠点として要塞が築かれていた。1853年に始まったクリミア戦争では、54年にオスマン帝国を支援して参戦したフランス軍がロシア軍が守るセヴァストーポリ要塞を攻撃、翌年に及ぶ攻防戦となり、結局1855年9月8日、陥落してロシア軍の敗北が決定した。セヴァストーポリ要塞の陥落はロシアに大きな衝撃を与え、西欧に対するロシアの近代化の遅れを自覚させることとなった。
 セヴァストーポリは、その後も黒海方面の最重要地として歴史上にたびたび登場する。第二次世界大戦の戦後処理のために1945年2月、連合国首脳がヤルタ会談を開催したが、ヤルタはセヴァストーポリの東に隣接する保養都として有名なところである。

参考 トルストイの『セヴァストーポリ』

 26歳の青年トルストイは、砲兵少尉としてセヴァストーポリ要塞の激戦に参加した。そのときの体験をもとに発表したのが『セヴァストーポリ』である。そこには生々しい戦場体験が物語られており、その筆力は当時大いに称讃され、彼のデビュー作となった。三つの短編から構成されており、第一編はいわば戦場ルポルタージュで、負傷者のうめきが充満する繃帯所が描かれている。第二編は爆弾が目の前で爆発するわずか1秒の間の心の葛藤を描き、第三編で愛国心から戦場に来た青年将校兄弟が、フランス軍の総攻撃に遭う・・・という内容になっており、早い時期に近代戦争の真実を描いたものとして重要である。<トルストイ『セヷストーポリ』1856 中村白葉訳 岩波文庫 1954刊>

ロシア黒海艦隊の軍港

 クリミア半島はエカチェリーナ2世の時、ロシア=トルコ戦争(第1次)でオスマン帝国を破り、1783年に強制的にクリム=ハン国を併合してから、セヴァストーポリはロシアの黒海方面への進出拠点として重要視され、軍港と要塞が建設された。それがクリミア戦争においてセヴァストーポリ要塞が激戦地となった理由であった。
 ロシアはセヴァストーポリ軍港を黒海艦隊の拠点港としていたが、黒海艦隊の水兵の多くはウクライナ人であった。ソ連時代には黒海艦隊でのロシア人水兵が多数を占めるようになったが、1991年12月にソ連が崩壊してロシア連邦とウクライナ共和国が分離し、クリミア半島がウクライナ領となったことで問題が生じた。セヴァストーポリもウクライナに属し、キエフとともに特別市となったが、ロシアはロシアは海軍の軍港使用を要求、様々な交渉の末、結局ウクライナはロシアに対する負債の一部を免除することを条件に、ロシア海軍のセヴァストーポリ軍港使用を認めた。そのため軍港としてのセヴァストーポリには多くのロシア人が居住している。

ロシアが併合

 2014年、ウクライナ共和国に反ロシア政権が成立したことに反発したロシアのプーチン大統領は、セヴァストーポリをはじめとするクリミアの住民はロシアへの併合を希望しているとして、2014年3月、ロシアへの併合を宣言した。セヴァストーポリ特別市もロシアと協定を結び、併合に合意した。こうしてセヴァストーポリはロシア連邦が事実上支配しているが、ウクライナは当然それを認めず、対立は続いている。
 2022年2月24日のロシア軍のウクライナ侵攻においても、クリミア半島はその拠点となって陸上部隊がウクライナ本土に侵攻したほか、セヴァストーポリのロシア海軍は、黒海でウクライナ海軍と交戦しており、25日にはオデッサ(ウクライナ海軍軍港)沖で日本商社所属の船舶が被弾するなどの犠牲が出ている。<2022/3/7>