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憲法修正第14条

アメリカ合衆国で南北戦争後の1866年に連邦議会で採決された憲法の修正条項。南部諸州に批准を連邦復帰の条件とし、批准が終わった1868年7月に発効した。内容は市民権を出生または帰化したものと明記したことで、黒人の市民権を認めたことが重要である。

 アメリカ合衆国において、南北戦争中にリンカン大統領は奴隷解放宣言を行い、それを恒久法とするために、連邦議会はアメリカ合衆国憲法憲法修正第13条を加え、それは1865年12月に発効して、奴隷制廃止は法的に確定した。
 次に課題となったのは奴隷から解放された黒人に市民権を付与することであったが、暗殺されたリンカンの後継者となったジョンソン大統領は、南部との妥協を図ってその成立を渋った。しかし共和党の急進派は議会で多数を制し、1866年6月、市民権を黒人にも与える内容の憲法修正第14条を採決し、その批准を南部諸州に迫った。その批准を南部諸州のアメリカ合衆国への復帰の条件としたのである。南部諸州の復帰が進む中、1868年7月28日にこの憲法修正第14条は発効した。

憲法修正14条の内容

 憲法修正14条は、次のような節から成り立っていた。
  1. 合衆国市民権は出生または帰化によって取得される。各州は合衆国市民に保障されている権利を制限してはならない。
  2. 南部が黒人男子に投票権を認めない場合は、その数が男子総人口に占める割合に比例させて、その州から選出される下院議員数を削減する。
  3. 南北戦争で南部連合を支持した元公務員から選挙権と公職就任権を剥奪する。
  4. 南北戦争中の連邦制の負債は支払われるが、南部諸州の負債支払いと奴隷解放による損失の補償の請求権は認めない。
第1節の合衆国で出生した者、帰化したものすべてに市民権をあたえるという条文により、黒人にも市民権を与え、第2節で黒人(男子だけではあったが)に投票権権を与えない州には不利益を与えるというかたちで、その選挙権を認めさせようとするというものであった。第3,4節は南北戦争の戦後処理で、南部諸州にとって厳しい条件であった。

南部諸州の復帰

 合衆国政府はその批准を南部諸州の復帰の条件として迫り、1868年にアーカンソー、ルイジアナなど7州がこの条件を満たして連邦に復帰し、70年にはテキサス、ミシシッピ、ヴァージニアが復帰した。合衆国政府は連邦軍を南部に駐留させることによって南部の「再建」を進め、さらに1870年には、憲法修正第15条を成立させ、黒人投票権を確定させた。
 しかし、1877年に連邦軍が南部を撤退し「再建」の時代が終わると、様々な形で黒人差別が合法化されていくこととなった。
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