ザミンダール/ザミンダーリー制
ザミンダールとはインドの領主的大地主のことで、イギリス東インド会社が1793年にベンガル州で実施したザミンダールを通じて地税を徴税する方式をザミンダーリー制という。税額は定額の金納で永代とされた。ベンガル以外の中部インドでは耕作農民から直接徴収するライヤットワーリー制がとられた。
ムガル帝国のインドで地主のことをザミンダールと言っていたが、ザミーンが土地、ダールが所有者を意味した。イギリスの東インド会社は1765年にムガル皇帝からベンガル・ビハール・オリッサの三地方のディーワーニー(徴税権)を与えられており、土地税を確実に徴収する方策を試行していた。最も困難だったのが、インドでは近代的な土地所有の概念がなく、土地に対して集落が共同で共益権を持ち、その上に地主(というより領主的な地域の流力者)であるサミンダールがいるという形だった。
留意点 インド全域でザミンダーリ制が実施されたのではない。インドは地域差が大きいのでイギリスは地域ごとに例えばライヤットワーリー制のような別な税制を適用している。インド植民地で統一的な税制は実施されなかったのであり、時期・地域による差は大きく、複雑な仕組みであった。19世紀にザミンダーリー制を拡張しようとしたが失敗している。<佐藤正哲/中里成章/水島司『世界の歴史14 ムガル帝国から英領インドへ』1998 中央公論社 p.333,546-549>
近代的土地所有関係が存在せず、共同体的所有の段階だったインドに、徴税の必要から強引に地主―小作関係を導入したのがザミンダーリー制だったと言うことができる。
ザミンダーリー制によってもたらされたインド農村の変化は次のようにもまとめられている。
山川出版社『詳説世界史B』2019 p.288-289 では、地税の徴収方法の二つとして
実教出版『世界史B改訂版』2019 p.309 では、
イギリス東インド会社は、直接支配地で重い地税を徴収した。ベンガル管区ではザミーンダール(領主層・地主層)に土地所有権を与えて納税させ(ザミーンダーリー制)、マドラス・ボンベイ両管区ではライーヤト(実際の耕作者)、自作農)に土地所有権を認めて直接納税させた(ライーヤトワーリー制)。 とし、結果として「納税者にのみ土地所有権を与えるこの政策により、多くの地主や農民が、土地とその生産物に対する権利を失って没落した。」と述べている。また欄外の注で「ザミーンダールは、農民から徴収した地代の一部を、地税として政府に納入した。」と書いて、徴税請負人ではないことを抑えている。
帝国書院『新詳世界史B』2019 p.218-219 では本文で
近代的な税制も社会を大きく変動させた。元来、さまざまな職業で構成される村民は、伝統的に村での仕事に応じて収穫を受ける権利をもっていた。しかし、土地の所有権をただ1人にしか認めない地税制度が導入されると、伝統的な村民の権利は奪われ、村の共同体的関係も崩壊し、売買を通して富裕者への土地の集積も進行した。」 とし、欄外の注で、ベンガル管区では、地主・領主を土地所有者と認定して彼らから徴税するザミーンダーリー制、ボンベイ管区とマドラス管区では、小農民を土地所有者として彼らから徴税するライヤートワーリー制が導入された。
としている。
地主請負永代定額税制
そこで東インド会社当局は、1793年から、ベンガル地方に於いて、一定地域のザミンダール(地主※)をその地域の土地所有者と認定して納税を請け負わせ、税額を定額にして永代で納めるとした。コーンウォリスという人が主導的役割を果たしたという。この制度は要約すれば、地主請負永代定額税制と言うことができる。 → イギリスのインド植民地支配(近代前)※参考 ザミンダールの意味
ザミンダールとは、一応「地主」としたが、その理解には注意を要する。近代的土地所有の未発達なインドに於いて、村落を支配している有力者のことで、領主的存在である。ザミンダーリー制は彼らを近代的な意味で地主として租税負担義務を与えたのである。このザミンダールを日本語でどう表現するのか、教科書や概説書でも工夫しているところであり、「地主・領主」としているものもある。また納税義務を請け負う主体としては、例えば『世界各国史・南アジア史』では「徴税請負人」としている。当ページでも以前は「徴税請負人」と書いたが、これは誤解しやすいようだ。つまり、徴税請負というと役人に代わって徴税するか、ローマ時代の属州の徴税請負人のイメージになるが、彼らは村落内の住民から地代を徴収するが、あくまで地主として納税する立場であるので、ザミンダールは「徴税請負人」にはあたらず、強いて言えば「納税義務を負う地主」というのが正しいと思われる。ザミンダーリー制のポイント
- 内容 地主(ザミンダール)に土地所有権を認め、定額の租税を永代にわたって納入することを取り決めたこと。 それまでの封建領主層だった人々を近代的土地所有者としてみとめ、地主とした。(近代的土地所有権ということは、土地所有権は一人だけが持ち、土地を抵当に入れたり、売買ができる不動産とする、という意味である。) その際、税額はそれまでの納入額を参考にして決定し、収入に増減があっても永代にわたって固定された。正確には「永代ザミンダーリー制」という。 この税制によってこれまで複雑であった租税体系が、[ 農民――(地代)―→地主――(租税)―→東インド会社 ]という単純な形で一本化された。
- 目的 東インド会社にとって可能な限り最大限の地税を取り立て、イギリス本国の財源に充てることであった。
- 影響 ザミンダーリー制によって、それまでの封建領主が農村共同体をまるごと支配するという社会関係から、地主―小作人関係が軸となり、東インド会社が統治者として農民を直接統治する形態が成立した。
- 結果 19世紀初頭までに約3分の2の地主権が所有者の手から離れ、旧領主層は没落し、新しい地主層が生まれという社会の大きな変動が起こった。
- 意義 ザミンダーリー制が実施されたことによってベンガル地方の封建領主層を近代的地主として東インド会社の領国支配下に組み込むんだ。その過程で吸い取られた冨はイギリス本国にもたらされ、イギリス資本主義の発展を促した。
留意点 インド全域でザミンダーリ制が実施されたのではない。インドは地域差が大きいのでイギリスは地域ごとに例えばライヤットワーリー制のような別な税制を適用している。インド植民地で統一的な税制は実施されなかったのであり、時期・地域による差は大きく、複雑な仕組みであった。19世紀にザミンダーリー制を拡張しようとしたが失敗している。<佐藤正哲/中里成章/水島司『世界の歴史14 ムガル帝国から英領インドへ』1998 中央公論社 p.333,546-549>
ザミンダーリー制とライヤットワーリー制
東インド会社は、18世紀後半、マイソール戦争、マラーター戦争によって中部インドを制圧し、マドラス、ボンベイを中心とした広大な地域を支配するようになった。これらの地域では、ベンガルのような地主(ザミンダール)を通してではなく、実際の土地耕作者である農民(ライヤット)から直接地税を徴収するライヤットワーリー制を実施した。このようにイギリスはインドを植民地支配するに当たり、地域の実情にあわせたいくつかの形態を取り、現実的にもっとも税収を上げる方策をとった。(引用)ビハール州や、カルカッタ(コルカタ)のある西ベンガル州には、もともとザミンダールと呼ばれた地主がいた。すでにこの地方を支配していたイギリスの東インド会社は、イギリス流の法観念に従って、地主の土地に対する権利を、近代的土地所有権として認定したうえで、彼らを租税請負人に仕立て、定額の金納地租を取りたてることにした。これを「永代ザミンダーリー制」という。他方、デカン高原をも含む南インドについては、ザミンダールにあたる地主がいなかったので、ライヤットと呼ばれた土地所有農民を地租負担者とし、地租の額は一定の期間ごとに改訂することにした。これは、「ライヤットワーリー制」と呼ばれている。<吉岡昭彦『インドとイギリス』1975 岩波新書 p.52>
インド農村の変化
インドの農村の地主と農民にも大きなは変化が生じた。まず土地所有権を認められるとと同時に納税義務を負わされた地主は、納税額が不足すると地主権を抵当に入れて借金したり売却した。その結果、商人や金融業者が新たに地主となることができた。農民にとっては共同体で占有していた土地に対する権利は失われ、無権利な小作人の立場に落とされていった。近代的土地所有関係が存在せず、共同体的所有の段階だったインドに、徴税の必要から強引に地主―小作関係を導入したのがザミンダーリー制だったと言うことができる。
ザミンダーリー制によってもたらされたインド農村の変化は次のようにもまとめられている。
- 旧いままの地主ではなく、イギリスの植民地政策によって再編成され創り出されたものであること。
- ザミンダーリー制では植民地の階級関係には手をつけず最大限の搾取を可能にしたこと。小作権は保障されなかったので、小作料が引き上げられるとそれを支払えない小作農は土地から追い払われた。そのため、地主の富裕化と小作農の貧窮化が進行した。
- 地租が金納化されたことによって、地主・農民ともに商品経済にまきこまれ、農村の自給自足体制は破壊された。
各社教科書での説明
ザミンダーリー制は、なかなかその正確な理解が困難な用語なので、幾つかの教科書の説明を較べてみよう。山川出版社『詳説世界史B』2019 p.288-289 では、地税の徴収方法の二つとして
- ザミンダーリー制は「政府と農民とのあいだを仲介するものに徴税を任せ、その仲介者に私的土地所有権をあたえる」 ライヤットワーリ制は「仲介者排除して、国家的土地所有のもとで農民(ライヤット)に土地保有権を与えて徴税する」
(引用)これらの徴税制度の実施にともなうあらたな土地制度の導入は、インド社会に深刻な影響を与えた。従来のインドの村落では、耕作者はもちろん、選択人や大工などの地域社会が必要とするさまざまな仕事をする人々が、それぞれ地域社会の総生産物の一定割合を現物で得る権利をもち、それで生活していた。しかし、新たに導入された制度では、一人だが土地所有者として認定され、ほかの人々が従来もっていた権益は無視された。また、税額も、従来より重かっただけでなく、長期間にわたって現金で設定された。19世紀前半をつうじて農産物価格が低落したため、農民は税の現金支払いのためににより多くの生産物を販売しなければならず、生活は困窮した。<『詳説世界史B』2019 山川出版社>他の教科書に較べ群を抜いて丁寧な説明をしているが、かえって判りずらくなっているかもしれない。また、ザミンダーリーを「徴税の仲介」と言っているので、徴税請負制度のことと誤解しやすい。
実教出版『世界史B改訂版』2019 p.309 では、
イギリス東インド会社は、直接支配地で重い地税を徴収した。ベンガル管区ではザミーンダール(領主層・地主層)に土地所有権を与えて納税させ(ザミーンダーリー制)、マドラス・ボンベイ両管区ではライーヤト(実際の耕作者)、自作農)に土地所有権を認めて直接納税させた(ライーヤトワーリー制)。 とし、結果として「納税者にのみ土地所有権を与えるこの政策により、多くの地主や農民が、土地とその生産物に対する権利を失って没落した。」と述べている。また欄外の注で「ザミーンダールは、農民から徴収した地代の一部を、地税として政府に納入した。」と書いて、徴税請負人ではないことを抑えている。
帝国書院『新詳世界史B』2019 p.218-219 では本文で
近代的な税制も社会を大きく変動させた。元来、さまざまな職業で構成される村民は、伝統的に村での仕事に応じて収穫を受ける権利をもっていた。しかし、土地の所有権をただ1人にしか認めない地税制度が導入されると、伝統的な村民の権利は奪われ、村の共同体的関係も崩壊し、売買を通して富裕者への土地の集積も進行した。」 とし、欄外の注で、ベンガル管区では、地主・領主を土地所有者と認定して彼らから徴税するザミーンダーリー制、ボンベイ管区とマドラス管区では、小農民を土地所有者として彼らから徴税するライヤートワーリー制が導入された。
としている。