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ボンベイ/ムンバイ

1661年にイギリス領となり、イギリス東インド会社の商館がおかれ、西部インドの管区都市として繁栄した。イギリス統治時代はボンベイ、現在はムンバイと呼ばれている。

ムンバイ(旧ボンベイ) Google Map

 インドの西海岸の北部にある都市で、現在はムンバイという。これも現代のインドで植民地時代のボンベイという地名を廃棄して、本来の地名に戻したもの。はじめポルトガルが進出し領有していたが、1661年にポルトガル王女がチャールズ2世に嫁いだときの持参金の一部としてイギリスに譲渡された。西部インドのイギリスの管区都市は、当初はスーラトであったが、1687年に国王がこの地をイギリス東インド会社に貸与したことによって、管区都市がスーラトからボンベイに移された。それ以来、ベンガル地方のカルカッタ(現在のコルカタ)、南インド東岸のマドラス(現在のチェンナイ)と並ぶ三管区の一つとなった。 → インド(6)ヨーロッパ勢力の進出

イギリスの植民地支配

 インド中心部でイギリスに抵抗していたマラーター同盟が、1818年にイギリスとのマラーター戦争に敗れ、ボンベイの広大な後背地がイギリス領となったため、内陸の綿花などの物資の集積地として繁栄するようになり、19世紀にはイギリスのインド植民地支配の一大中心都市となった。
 インド大反乱の前の1853年4月、イギリスはアジア最初の鉄道をムンバイと北の郊外ターネーとの間33kmに敷設した。これは内陸の綿花をイギリスに輸出するために積み出し港ムンバイにに運ぶための鉄道であった。 なお、ボンベイ管区での税制は、個別農民から直接徴税するライヤットワーリー制が取られた。
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