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インド人移民/印僑

20世紀に急増した主として東南アジアへのインド人移民。印僑とも言われる。第二次世界大戦後は、中東への労働力としての移民、アメリカ・イギリスなど英語圏への知的技能者の移住が増え、活躍している。

 イギリスのインド植民地支配のもとで、綿花などのモノカルチャー化が進み、貧困が過剰人口を生み出していた。一方、同じくイギリスの植民地支配下にあったマレー半島では20世紀に入ってスズ鉱山やゴム農園が急速に拡大され、その労働力として多数のインド人が移民として移住し、安価な労働力となっていった。
 このようなインド人移民は東南アジア各地に広がったが、それ以前からアメリカ合衆国や南アフリカへも多数の移民が移住しており、特にアメリカではクーリー(この言葉は後に苦力の字があてられて中国人移民を主に指すようになる)と言われ、また華僑になぞらえて印僑ともいわれている。また南アフリカにおけるインド人移民に対する差別問題から、ガンディーサティヤーグラハの運動を開始、それが後のインド独立の闘いにつながったことはも重要である。

現代の印僑

 「印僑」ということばの定義は、通常は「19世紀以降のインドからの海外移住者」を指すことが多い。現代のインド政府の公式の定義では「印僑」は「(インド国籍を持つ)インド人非居住者(Non-Resident Indian,NRI)と、インド以外の国籍を保有するインド系の在外居住者(Preple of Indian Origin,PIO)に二分されている。<近藤正規『インド』2023 中公新書 p.122~ 以下、同書によって構成>
  • 19世紀のインド人移民 1830年代以降、イギリス領モーリシャスやフィジーなど、サトウキビ栽培などの出稼ぎ労働者として渡りはじめ、1870年代以降はビルマやマレーシア、セイロンなどのプランテーション労働者として大量に送り込まれた。
  • 1947年の独立後のインド人の海外移住者は、中東諸国への単純労働として渡るタイプと、アメリカへの知的労働者として渡るタイプに大別できる。
  • 全世界の印僑の正確な数字を出すことは困難だが、1世に限ると1500万人~2000万人、3世まで含めると3000万人に及ぶと言われている。華僑(中国系移民)は4000万とも6000万とも言われているので、それには及ばないが、大きな数である。国別に見ると最も多いミャンマーと、ネパール・パキスタン・バングラデシュなど南インド諸国を除くと、アメリカ(3世まで含め約500万)・マレーシア・サウジアラビア・イギリス・南アフリカ・UAE・カナダの順になっている。
  • インド人の留学先ではアメリカが最も多く、2022年度にはインド人受けのアメリカの高校・大学のビザの発給が約10万件となり、中国人を超えて国別トップとなった。アメリカ以外にもイギリス・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・シンガポールなど英語圏諸国でのインド人留学生の比率が高い。

世界的な印僑の成功者

  • IT業界 サビール・バディア(ホットメールの作者)、ヴィノード・ダム(インテルのペンティアム・プロセッサーの発明者)、ヴィノード・コスラ(サンマイクロ創業者)、サンダー・ビチャイ(グーグルのCEO)、サティア・ナデラ(マイクロソフトCEO)、シャンタヌ・ナラヤン(アドビCEO)など
  • 経済界 ヴィクラム・パンディット(シティグループ元CEO)、ラジャット・グプタ(マッキンゼー元世界代表)、インドラ・ノーイ(ペプシコの女性元CEO)、ラジ・スプラマニアム(フェデックスCEO)、アジェイ・バンガ(世界銀行総裁、元マスターカード会長)など
  • 政治家 タマラ・ハリス(アメリカ副大統領。母親がインド人内分泌学者)、ニッキー・ヘイリー(元国連大使、強打等大統領候補をトランプと争った)、ボビー・ジンダル(元ルイジアナ州知事)、リン・スナク(2022~24年、イギリス首相、両親は東アフリカから1960年代にイギリスに移住したインド人)、バラッカー(2022年アイルランド首相)