マクドナルド挙国一致内閣
イギリス労働党を除名されたマクドナルドが、1931年に保守党を中心に組織した。世界恐慌に対応するための挙国一致内閣。保護関税政策、ブロック経済によって生き残りを図った。
戦間期のイギリスで、第2次マクドナルド労働党内閣の世界恐慌対策の失敗によってもたらされた政治危機を打開するため、国王ジョージ5世の仲介によって1931年9月にマクドナルドを再び首相とした挙国一致内閣が成立した。マクドナルドはすでに労働党を除名されたが内閣にとどまり、保守党を中心として自由党が加わった連立内閣であった。内閣は直ちに国民の信を問うため総選挙に打って出た結果、挙国一致内閣維持を主張する保守党が改選前の260から473へ議席を大幅に増やし、労働党は惨敗した。しかし、選挙後も「挙国一致」の外貌を保つため、マクドナルドは首相にとどまったが、政府の実権は枢密院議長ボールドウィンや大蔵大臣ネヴィル=チェンバレンなど保守党指導者に握られていた。<川北稔編『イギリス史』世界各国史 1998 山川出版社 p.353>
オタワ会議で成立した輸出入に関する特恵で結びついた関税ブロックを保管する体制として、スターリング=ブロックが設定された。スターリング=ブロックは、国際金本位制の代わりにポンドを基軸通貨とする国際金融体制であり、帝国経済特恵体制とスターリング圏によって、イギリス本国を中心とする経済ブロックが構築された。このブロック経済政策は、フランスのフラン経済圏やアメリカのドル経済圏とともに、それぞれが閉鎖的な経済ブロックをつくって生き残ろうとするものであり、世界経済全体での輸出入を停滞させ、世界経済はさらに落ち込むこととなった。
イギリス国内ではこれらの恐慌対策は一定の効果を上げ、炭鉱・繊維などの伝統産業は国際競争力が低下してそれらの工業地域は不況から脱することはできなかったが、一方で国内市場型の住宅建築、電気、化学、自動車などのロンドンを中心とした地域の新しい産業は徐々に伸び始めていた。その結果、1935年の選挙で再び保守党が圧勝し、挙国一致連立内閣は解消されてボールドウィンを首相とする保守党単独内閣が成立した。
また、通説としては第一次世界大戦を機にイギリスは世界経済の主導権をアメリカに奪われ、世界恐慌でブロック経済政策をとったためにさらに世界経済への影響力を失って没落したとみられていたが、最近ではイギリスのシティを中心とする金融を通じた世界経済支配は、大戦後および世界恐慌後も続いており、そのようなイギリス経済の特色を前世紀から継続するジェントルマン資本主義と捉える見方が有力となっている。<川北稔・木畑洋一編『イギリスの歴史 帝国=コモンウェルスのあゆみ』2000 有斐閣アルマ/秋田茂『イギリス帝国の歴史 アジアから考える』2012 中公新書>
イギリス挙国一致内閣の恐慌対策
1931年9月に成立したマクドナルド挙国一致内閣は、深刻化する世界恐慌の影響から脱却するために、失業手当10%削減などの緊縮財政政策を実施するとともに、金本位制の停止を断行し、ポンドを切り下げて管理通貨制度に移行した。翌1932年3月には保護関税法を制定して一律10%の輸入関税を導入し、国内産業を保護し、輸出の増大をはかった。さらに1932年7~8月にカナダのオタワでイギリス帝国内の自治領(ドミニオン)を招集して連邦経済会議を開催し、帝国内部で相互に輸出入関税率を優遇し合う特恵制度を導入した。これらの世界恐慌に対する対応によって、イギリスは1840年代末以来、一貫して維持してきた自由貿易主義をやめ、保護関税政策に転換した。オタワ会議で成立した輸出入に関する特恵で結びついた関税ブロックを保管する体制として、スターリング=ブロックが設定された。スターリング=ブロックは、国際金本位制の代わりにポンドを基軸通貨とする国際金融体制であり、帝国経済特恵体制とスターリング圏によって、イギリス本国を中心とする経済ブロックが構築された。このブロック経済政策は、フランスのフラン経済圏やアメリカのドル経済圏とともに、それぞれが閉鎖的な経済ブロックをつくって生き残ろうとするものであり、世界経済全体での輸出入を停滞させ、世界経済はさらに落ち込むこととなった。
イギリス国内ではこれらの恐慌対策は一定の効果を上げ、炭鉱・繊維などの伝統産業は国際競争力が低下してそれらの工業地域は不況から脱することはできなかったが、一方で国内市場型の住宅建築、電気、化学、自動車などのロンドンを中心とした地域の新しい産業は徐々に伸び始めていた。その結果、1935年の選挙で再び保守党が圧勝し、挙国一致連立内閣は解消されてボールドウィンを首相とする保守党単独内閣が成立した。
また、通説としては第一次世界大戦を機にイギリスは世界経済の主導権をアメリカに奪われ、世界恐慌でブロック経済政策をとったためにさらに世界経済への影響力を失って没落したとみられていたが、最近ではイギリスのシティを中心とする金融を通じた世界経済支配は、大戦後および世界恐慌後も続いており、そのようなイギリス経済の特色を前世紀から継続するジェントルマン資本主義と捉える見方が有力となっている。<川北稔・木畑洋一編『イギリスの歴史 帝国=コモンウェルスのあゆみ』2000 有斐閣アルマ/秋田茂『イギリス帝国の歴史 アジアから考える』2012 中公新書>