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ジッグラト

メソポタミアのシュメール人の都市に見られる神殿建築。聖塔といわれる。シュメール後の新バビロニアの時代まで造られ続けた。

 ジグラト、またはジックラトゥなどとも表記する。シュメール人時代からメソポタミアで建設された神殿を祭るための塔。「聖塔」という。メソポタミア文明都市国家の形成期に、都市神を祭る神殿とともに造営されるようになった。ウルのジッグラトが有名でほぼ完全な形で残されており、シュメール文化を代表する遺跡である。他にウルクの遺跡など、20ヵ所ほどが知られているが、破壊されたものも多い。
 シュメール人の文化は前3000年ごろから前1800年ごろバビロニアに征服されて消滅するが、ジッグラトの建設はバビロニア時代にも継承され、その都のバビロンで作られたのが「バベルの塔」と考えられている。またメソポタミアの北方のエラム人の地方でもジッグラトの遺跡が見られる。

ジッグラトの形態

 シュメールの都市の景観を特徴づけるのはジッグラトである。旧約聖書に記され、西欧の人びとを西アジアに惹きつけた「バベルの塔」はバビロン市に雄姿を誇る「天と地の基台」と命名された聖塔のことである。この塔は底辺の一辺約90メートルの正方形でその上に七層を積み、頂に聖堂が置かれていた。高さが90メートルはあったと推定されている。エジプトのピラミッドでは、その四辺は正確に東西南北に平行するが、メソポタミアとエラムの聖塔は、その角を東西南北の軸にあわせ、底辺はその軸に45度の角度にある。建築技法上、下の壇ほど高くして、上にいくほど一壇の高さを低くしている。それは、下から眺めたとき、遠近透視の原理にしたがって、実際以上に高く感じるような設計であるといわれている。<前田徹『都市国家の誕生』1996 世界史リブレット1 山川出版社 p.26-27>

バベルの塔

 メソポタミアの都市の守護神をまつるものであったと思われるが、天の神に近づくための階段とも考えられ、『旧約聖書』に現れる「バベルの塔」はこのジッグラトの事であろうと言われている。メソポタミアは沖積平野であるため石材はなく、泥を固めた日干し煉瓦を積み上げ、アスファルトを接着剤としていた。
 アッカドバビロニアにおいても盛んにつくられ、特にバビロンでは国家神マルドゥクに関する儀礼がジッグラトの前で行われた。新バビロニア王国ネブカドネザル2世も都バビロンにジッグラトを建設した。
 現在、最大のジッグラトとして知られているのは、メソポタミアの北に当たるイランで20世紀になってから発見された、エラム人が建設したと考えられるチョガ・ザンビールのもので、世界遺産に登録されている。

Episode バベルの塔

 『旧約聖書』の創世記第11章第7~9節のバベルの塔の話は次のようなものである。人間が天まで届く塔を建て始めたことに立腹した神は、人々の言葉が一つであるからこのようなことを始めたと考え、「直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」と彼らをそこから全地に散らされたので、彼らは建設を止めた。主が言葉を混乱(バラル)させたので、この町をバベルと言われるようになった、という。バベルはバビロンのことであろうと言われている。
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書籍案内

前田徹
『都市国家の誕生』
世界史リブレット1
1997 山川出版社