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バビロン

メソポタミア南部、バビロニアで栄えた古代都市。

 古代オリエントメソポタミア地方の南部、バビロニア地方の中心地で、最も繁栄した都市の一つ。ユーフラテス川中流、バグダードの南方にあった。もともと「神の門」を意味するマルドゥク神の神殿があった宗教都市であったが、アムル人のバビロン第1王朝(古バビロニア)の都となってから繁栄した。『旧約聖書』に出てくるバベルの塔はバビロンのジッグラトのことだと言われている。その後、ヒッタイト、カッシートなどの支配を受ける。アッシリア帝国では都ニネヴェに劣らない都市として栄えた。
 前625年、新バビロニア(カルデア)が成立すると再び都となった。そのネブカドネザル王はバビロンに大きな王宮や「空中庭園」を建設したという。またそのころ、ヘブライ人(ユダヤ人)が、この地に連行された「バビロンの捕囚」も重要である。
 新バビロニアの後、ペルシア帝国の支配を受けていたが、前331年、アレクサンドロス大王が東方遠征の途上に入城した。大王はその後ペルシア帝国を滅ぼし、中央アジア、インドまで進出した後、この地に戻り、前323年にバビロンで死去した。その後は次第に衰退し、特にパルティアとササン朝の都クテシフォンが繁栄することによってバビロンは寒村となり、さらにイスラーム勢力がこの地を征服してアッバース朝が新たな都市バグダードを建設してからは、砂漠に埋もれてしまった。1899年、ドイツ隊による発掘が行われ、遺跡として脚光を浴びることとなった。

Episode フセインによるバビロンの復元

 現代イラクの独裁者サダム=フセインは自らをネブカドネザル王になぞらえ、1978年に国家的事業として新バビロニア時代のバビロンの復元事業を行った。有名なイシュタル門など、バビロンの栄華が現在復元されている。サダム=フセインは2003年にアメリカ軍によって捕らえられ、失脚したが、イラク情勢が混迷するなか、バビロンの遺跡がどうなったか、心配なところである。
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ノートの参照
1章1節 ウ.メソポタミアの統一・・