印刷 | 通常画面に戻る |

クノッソス遺跡

1900年、エヴァンスによって発掘されたクレタ島の遺跡。海洋王国の都と考えられ、クレタ文明の解明につながった。

 クレタ島地中海の東部、エーゲ海の入口にある大きな島。クレタ島の中央部にあるクノッソスで、イギリス人のエヴァンスが1900年から本格的に発掘を開始した。その結果、前2000年頃から前1400年ごろの青銅器文明の存在を明らかになり、クレタ文明と名付けられた。クノッソスは伝承上のミノス王の都とも考えられている。

クノッソスの迷宮

 この遺跡は、前19世紀ごろ最盛期を迎えたクレタ海洋王国の宮殿とされた。その宮殿は中庭の周辺に多数の建物が配されており、城壁はめぐらされていない。また神々の偶像や人物像は見つかっていない。伝承にあるクレタ島のミノス王の王宮とされるこの遺跡は、広さは170~180平方メートル、数層から鳴る建物で、1階だけでも小部屋が100以上もある複雑な構造をしており「迷宮(ラビリンス)」の状態になっている。
 同時ニックのっそすいせきから多数の粘土板に絵文字と線文字が刻まれているのも発見され、線文字は線文字Aと線文字Bに分類されている。いずれのエーゲ文明の終わりと共に忘れ去られたが、線文字Bは現在解読されている。

クレタ文明

 このクノッソスを中心としたクレタ文明は、ギリシアの青銅器文明であるエーゲ文明の前半にあたり、前1800年頃にギリシア本土に興ったミケーネ文明によって征服され、前1400年頃に消滅した考えられている。 クノッソスの宮殿遺跡は、その建物も、壺などの遺物も、破壊された状態で発見されており、この文明の消滅が外的な勢力による破壊であったことを示している。

Episode シュリーマン、クノッソス発掘できず

 トロイアやミケーネの発掘に成功して名声が上がったシュリーマンは、それらの遺跡からエジプトとの交易品が見つかっていることから、ギリシア・エーゲ海域とエジプトとの間に中継基地があったに違いないと考えた。それがクレタ島であるとすれば、ミノス王の伝承のあるクノッソスに違いないと、鋭い勘を働かせたシュリーマンはその発掘を企てた。1883年にオリーブ畑になっている土地を買い取ろうとすると、トルコ人の土地所収者はシュリーマンが各地で黄金製品をたくさん発掘したことを知っていたので、法外な土地代を要求してきた。粘り強い交渉の結果、シュリーマンは1889年に4万フランで2500本のオリーブの木ごと買い取ることになったが、地主は発掘にオリーブの木は不要だろうと、代価を取りながら、木の大半を別の畑に移植してしまった。シュリーマンはがんらい商人であったからこの地主の処置をひどく怒り、遂に交渉は決裂してしまった。翌年、シュリーマンは死んだので、クノッソスの発掘は、シュリーマンの助手をしたこともあるイギリス人エヴァンズの手で行われることとなった。<『教養人の世界史(上)』1964 現代教養文庫 三浦一郎執筆分 p.94>
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
1章2節 イ.エーゲ文明