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エーゲ海/エーゲ文明

エーゲ海は地中海東部、ギリシアと小アジアの間の多島海。盛んな交易によって紀元前3000年ごろ、オリエント文明の影響を受けながら、青銅器文明が生まれた。前半のクレタ文明と後半のミケーネ文明に分けられるが、それらの関係、また後続の鉄器文明との関係には判っていないことも多い。

エーゲ海地図
エーゲ海 古代重要地名

エーゲ海

 エーゲ海は地中海世界につながるギリシアと小アジアにはさまれた海域で、多島海ともいわれるほど島が多い。エーゲ海の重要な島としては、最南部の大きなクレタ島、中央部に位置するデロス同盟の名の起こりとなったデロス島、小アジアに近いレスボス島(女流詩人サッフォーが活躍した)、ミロ島(ミロのヴィーナスが発見された島)、サモス島(対岸のミレトスと争った)、キオス島(ドラクロアの絵「キオス島の虐殺」で知られる)、ロードス島などがある。このエーゲ海沿岸と島々に、紀元前3000年頃、北方からギリシア人が進出し、エジプトや小アジア、東地中海岸と接触してオリエント文明の影響を受けながら、青銅器文明であるエーゲ文明が展開した。

エーゲ文明の解明

 エーゲ文明の存在は、19世紀までは知られておらず、ホメロスなどの伝えるのは単なる神話であると考えられていたが、19世紀後半から20世紀前半までに、シュリーマンによるトロイア遺跡ミケーネ遺跡エヴァンズによるクノッソスなどの考古学上の発見によってその存在が明らかにされ、ヴェントリスなどの古代文字の解読によってその内容も伝承との一致も明らかになってきている。とくに1953年のヴェントリスによる線文字Bの解読は、それまでヘロドトスやトゥキュイディデスなどの歴史書でしかわかっていなかった古代ギリシア研究に、画期的なインパクトをもたらした。

エーゲ文明の諸段階

 紀元前3000年ごろから、ギリシアのエーゲ海周辺に、オリエント文明の影響を受けた青銅器文明が形成された。オリエント地域との海上交易を通して、次第に一つの文明圏を形成していったものと思われる。
クレタ文明 前2000年ごろにはクレタ島を中心としたクレタ文明が生まれた。クレタ島のクノッソスに王宮を築いた王は、海上貿易を掌握して海上国家を築き専制政治を行っていた。後の神話に出てくるミノス王に比定されてミノス王ということから、この文明をミノス文明とも言う。人種は不明だが、ギリシア人の先祖ではなかったと考えられており、後のギリシア文化とは異質な海洋民族としての特徴的な意匠、たとえばたこやいかを描いた壺などを残している。クノッソス遺跡は1900年にイギリス人エヴァンズによって発掘され、絵文字や線文字Aが出土したが、未解読である。前1400年頃、ギリシア本土から進出したギリシア人(その一部のアカイア人)によってクレタ文明は滅ぼされたと考えられている。
ミケーネ文明 前2000年紀から南下し始めたギリシア人(その第一波をアカイア人という。また南下の年代は最近では前3000年紀にさかのぼるとする説もある)がギリシア本土に定着し、前1600年~前1200年頃までにミケーネ文明を形成した。まだ青銅器文明に留まっているが、彼らはギリシア本土にミケーネ王国ティリンスピュロスなどの小国家を作った。1876年のシュリーマンによるミケーネ遺跡の発掘に続き、彼らが使用した線文字Bヴェントリスによって1952年に解読されたことにより、高度な貢納王政のしくみなどが判明した。
トロイア文明 エーゲ文明は前半のクレタ文明、後半のミケーネ文明の二期に分けられるが、並行して小アジアのトロイア遺跡にも同様の文化が繁栄していた。これをトロイア文明とする場合もある。ほぼミケーネ文明と同時期に栄えており、ホメロスの『イリアス』などで物語られるトロイア戦争の舞台となった。1871年、シュリーマンがトロイア遺跡を発掘、エーゲ文明解明のきっかけとなった。

エーゲ文明の崩壊

 これらのクレタ文明、ミケーネ文明、さらにトロイア文明などを総称してエーゲ文明といっている。エーゲ文明は独自に形成されたのではなく、同時期のオリエントのエジプト新王国ヒッタイト王国とも関係が深かったらしい。その崩壊も、オリエント世界全体に大きな変動をもたらすこととなった前1200年ごろに起こった民族移動の動きの一環である海の民がエーゲ海域にも侵攻してきたことが挙げられる。彼らが東地中海域に鉄器をもたらしたことによって、青銅器文明であるエーゲ文明は崩壊し、ギリシアは暗黒時代と言われる転換期を迎える。
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書籍案内

伊藤貞夫
『古代ギリシアの歴史』
2004 講談社学術文庫

周藤芳幸
『図説ギリシア―エーゲ海文明の歴史を訪ねて』
2007 河出書房新社