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マラトンの戦い

ペルシア戦争で、前490年にアテネ軍がペルシア軍を破った戦い。

 ペルシア戦争(第2次)の前490年、アテネに近いアッティカ半島の東岸のマラトンに上陸したペルシア帝国の第2回遠征軍と、迎え撃ったアテネを中心としたギリシアのポリス連合軍との戦い。ギリシア側がミルティアデスの指揮するアテネの重装歩兵密集部隊の活躍で勝利した。ペルシア戦争の最初の激闘。このとき、スパルタ軍は、到着が遅れ、アテネが独力で勝ったことが、後のアテネの興隆のもととなった。後のアテネで悲劇作者として活躍するアイスキュロスもこの戦いに一兵士として参加していた。

Episode マラソンの神話

 ペルシア戦争のマラトンの戦いで、ギリシア軍の勝利をある青年が一刻でも早くアテネ市民に知らせようと、一度も休まず悪路を走りぬき、「喜んでください、わが軍は勝ちました!」と告げると同時に息絶えた、これを記念してオリンピック競技の中に、マラトンとアテネ間の約49kmを走る長距離走が始まり、マラソン競技といわれるようになった・・・というよく出てくる話は、どうやら実話ではなさそうだ。ペルシア戦争についてどんなことでも細大漏らさず述べたというヘロドトスの『歴史』には、フィリッピデスという伝令が、マラソンの戦いの直前に、アテネから2日間で走ってスパルタに援軍を要請したという話は出てくるが、勝利を報告してバッタリ倒れた、という話は出てこない。ずっと後のローマ時代になってプルタルコスの『倫理論集』などにそれに近い話が出てくるが、伝令の名前はエウクレスと言っている。また、古代オリンピックの長距離走は4600m走だった。実はこの話は、近代オリンピック開催を実現させたクーベルタン男爵の友人のブレアルという古典学者が、マラソン競技を提唱したときに援用した伝説に過ぎなかった。事実ではない神話であったが、このアテネで開催された第1回大会で無名のギリシア人ランナーのスピリドン・ルイスが優勝したことで、ギリシア中が沸き立ち、すっかりこの神話が事実として定着した。<桜井万里子・橋場弦『古代オリンピック』2004 岩波新書による>
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1章2節 キ.ペルシア戦争とアテネ民主政
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<桜井万里子・橋場弦
『古代オリンピック』
2004 岩波新書>