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カイロネイアの戦い

前338年、マケドニアのフィリッポス2世がギリシアのアテネ・テーベ連合軍に勝利した戦い。

 前338年、ギリシアのカイロネイア(ケーロネアと表記することもある)におけるマケドニアフィリッポス2世アテネテーベ連合軍の戦い。アテネ・テーベ連合軍は善戦したが、長槍を使った重装歩兵・密集部隊戦術をとるマケドニア軍に敗れ、マケドニアのスパルタを除くギリシア支配が実現した。
 なお、カイロネイアはギリシア本土、アテネ北西のボイオティアにある町。エジプトのカイロではないので注意。フィリッポス2世はスパルタを除くギリシアのポリス連合であるコリントス同盟(ヘラス同盟)の盟主と成り、さらに東方のペルシア帝国遠征を意図していたらしいが、カイロネイアの勝利の2年後に部下に暗殺され、その意図は子のアレクサンドロスに継承された。

カイロネイアの戦いの後

 カイロネイアの戦いで勝利したマケドニアのフィリッポス2世について、ローマ時代(2~3世紀)の人、アイリアノスが伝えるのは次のような話である。
(引用)カイロネイアの戦いに勝利を収めた後、その戦果にピリッポス(フィリッポス2世)はもとより全マケドニア人は意気高いものがあった。ギリシア人の方はすっかりピリッポスに怖気(おじけ)づき、都市ごとに自ら進んで彼に身柄を委ねた。そのようにしたのはテーバイ(テーベ)人、メガラ人、コリントス人、アカイア人、エリス人、エウボイア人、それにアクテ(アッティカ地方)に住むすべての人々であった。しかしながら、ピリッポスは彼らとの協定を守らず、全員を隷属させたのは、正義にも法にも悖(もと)ることであった。<アイリアノス/松平千秋ら訳『ギリシア奇談集』岩波文庫 p.192>
 もっともアイリアノスが伝えるところでは、フィリッポス2世はカイロネイアの戦いの勝利で驕ることがないように、毎朝家来に「ピリッポス、あなたは人間ですぞ」と叫ばせたという話も伝えている。
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ノートの参照
第1章2節 ク.ポリスの変質