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アレクサンドロスの大帝国

アレクサンドロスが建設したギリシア本土からインダス地方に及ぶ大帝国。

 アレクサンドロスは、東方遠征によってアケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼし、さらに前327年までかかって中央アジアのバクトリアとソグド人を平定し、今度は南下してインダス川流域に入った。さすがに長期にわたる遠征に飽いてきたマケドニアの将兵は、それ以上の東進に反対、アレクサンドロスもそこから引き返すことになった。そして途中のバビロンで熱病にかかり、前323年に急死した。
 アレクサンドロスの帝国は、ギリシアから小アジア、エジプト、シリア・メソポタミア・イラン・バクトリア・ソグディアナ・インダス川流域に及び、地中海世界とオリエントを含む、広大なものとなった。この大帝国の成立により、ギリシア文化とオリエント文化が融合し、ヘレニズム文化が成立した。

Episode アレクサンドロス大王の集団結婚策の真相

 アレクサンドロス大王は東方遠征中の前324年に、ペルシアのスサで、マケドニア人貴族とペルシア人女性の集団結婚を挙行した。このときは約80組が挙式し、アレクサンドロス自身もダリウス3世の娘を妃にした(バクトリア人の女性ロクサネーが先妻としていた)。またそれまでにマケドニア兵と同棲していた多数のアジアの女性たちも正式な妻と認められた。これは古来、東西人種の融合策と言われるが、現実にはアレクサンドロス大王がペルシア帝国の権威を継承するための儀式にすぎなかったようで、大王死後はこの80組のうち、多くのペルシア人妻は離縁されたり、妾扱いされたという。<村川堅太郎『ギリシアとローマ』1961 世界の歴史2(旧版) 中央公論社 p.168> → アレクサンドロスの集団結婚式

ヘレニズム時代

 アレクサンドロスの大帝国は大王が前323年に急死した後、ディアドコイと言われる後継者たちによる争いによって分裂、本国マケドニアにはアンティゴノス朝マケドニア、メソポタミアからイラン高原一帯にはセレウコス朝シリア、エジプトにはプトレマイオス朝エジプトのいずれもギリシア人を支配者としたヘレニズム三国に分離した。それらのもとでギリシア文明とオリエント文明の融合が進みヘレニズム文明が形成された。
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ノートの参照
1章2節 ケ.ヘレニズム時代