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アンティゴノス朝マケドニア

ヘレニズム諸国の一つでギリシアと小アジアを支配した国。

 アレクサンドロス大王の部将(ディアドコイ)の一人アンティゴノス1世はギリシア本土と小アジアを勢力圏としており、帝国の回復を図ったが、前301年にイプソスの戦いで他のディアドコイたちの連合軍に敗れて敗死した。その子デメトリオスも帝国再建を図ったが果たせず自殺した。その子のアンティゴノス2世(つまり1世の孫)がマケドニアのカサンドロスの死後、前276年にアンティゴノス朝マケドニアを成立させた。(アンティゴノス朝の成立を前306年とする説もある。)

ヘレニズム国家

 ヘレニズム3国の一つだが、他のシリア、エジプトの二国と違い、オリエント風の専制国家ではなく、ギリシア的な市民を中核とした重装歩兵を維持した。その兵力によって、西方のイタリア半島に勃興したローマと戦い、前後3回にわたるローマとの戦争(マケドニア戦争)を行ったが、前168年のピュドナの戦いに敗れて滅亡、その地は前148年にローマの属州となる。
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ノートの参照
1章2節 ケ.ヘレニズム時代