印刷 | 通常画面に戻る |

ヘレニズム三国/ヘレニズム時代

前4世紀~前1世紀、アレクサンドロスの帝国の成立後の時代。セレウコス朝、プトレマイオス朝、アンティゴノス朝のヘレニズム三国が分立した。

ヘレニズム三国

ヘレニズム三国
ヘレニズム三国(概略)
 アレクサンドロスの後継者たち(ディアドコイ)が分立したことによって成立した、プトレマイオス朝のエジプト、セレウコス朝のシリア、アンティゴノス朝のマケドニアの三国は、いずれもギリシア人の王朝が支配した国家なので、ヘレニズム三国という。ギリシア人は自らをヘレネの子孫と意識し、ヘレネスと言っていた。

ヘレニズム時代

 前338年のマケドニアのギリシア支配からアレクサンドロス大王の帝国の成立、ヘレニズム三国の時代を経て、最後はローマによってプトレマイオス朝エジプトが前30年に滅亡するまでの約300年間を、ヘレニズム時代とする。およそ、ギリシアのポリス民主政の栄えた時代とローマ帝国が成立するあいだの、東地中海から西アジアにかけて地域の、ギリシア文化圏とオリエント文化圏を含む歴史を総称していう。

ギリシア系統治者

 前323年、アレクサンドロス大王が急死すると、いわゆるディアドコイ(後継者たち)の争いが始まり、複雑な過程を経て、ほぼプトレマイオス朝エジプトセレウコス朝シリアアンティゴノス朝マケドニアの三国に分かれることとなった。この三国はいずれもギリシア人の統治者が治める国家なので、ヘレニズム三国という。政治的にはギリシア系の統治者が支配していたが、東方のエジプトとシリアではギリシア的な民主政治は行われず、いずれも専制的な統治が行われ、伝統的な神権政治と融合していった。

ヘレニズム文化の形成

 この三国のもとで、ギリシア文明とオリエント文明が融合して、いわゆるヘレニズム文化が形成されたと考えられている。ギリシア本土ではポリスが衰えたけれどもアテネやスパルタは自治が許され、特にアテネは学問の中心としての活動は続いていた。しかし、次第に地中海世界の経済や文化の中心は、プトレマイオス朝の首都アレクサンドリアに移っていった。  なお、このヘレニズム時代と並行した時期に、西地中海地域にローマカルタゴが台頭し、前3世紀のポエニ戦争で勝ったローマが、次いで前2~1世紀に次々とヘレニズム諸国を征服して、地中海世界を統一し、前1世紀の末にローマ帝国を建設することとなる。

ヘレニズム諸国の興亡

 ヘレニズム三国はいずれも前2~1世紀にローマによって滅ぼされる。それぞれの滅亡の事情と年代は次のとおり。
 なお、小アジアのペルガモン、中央アジアのバクトリアも、アレクサンドロスの遺領に生まれた、ギリシア系の国家であり、ヘレニズム諸国と言うことが出来る。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
1章2節 ケ.ヘレニズム時代