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プラトン

古典期ギリシアを代表するアテネの哲学者。

 ソクラテスの弟子で、古代ギリシア哲学の最盛期であった前4世紀のアテネを代表する哲学者。著書はその師の言葉を『ソクラテスの弁明』や、『饗宴』、『パイドロス』、『国家論』など多数ある。また彼の弟子がアリストテレスである。プラトンの思想の中心となるのはイデア論といわれるもので、現実の世界は、真実の世界(イデア)の影のようなものであるととらえ、それを探求した。人がイデア界の最善最美にあこがれるのがエロースであるであり、それを認識するにいたる方法は、師と同じく対話(ディアレクティケー)にあると説いた。また『国家論』では、現実のアテネの政治を批判的に論じ、徳のある哲人が国を治め(哲人政治)、軍人が防衛し、市民が文化を担うという分業国家を理想とした。その国家論では、奴隷は労働をになう分業社会の一員として肯定されている。彼が活動した時代のアテネは、まさにペロポネソス戦争後の衰退期であり、そのような中で彼はアカデメイアを創設し、研究と教育に当たった。晩年にはシラクサにおもむいて理想国家の建設を目指したが失敗した。弟子のアリストテレスは、真理を現実の中に求めることをめざし、師のプラトンとは異なった経験論的、科学的、合理的な方向に進むが、プラトン的な超現実的なイデア論は後に、ヘレニズム時代を経てユダヤ教やキリスト教の神学と結びつき、新プラトン主義となって現れてくる。

Episode 世に与しなかった?プラトン

 プラトンの生没年代の前429年~前347年を、「世に与(くみ)しなかった」、と訓むのは加藤尚武『ジョーク哲学史』<1983 河出書房新書 p.36>による。彼の死んだ年を「サヨナら」とも訓める。しかし、世に与しなかった、というは事実にはあてはまらず、実際のプラトンは積極的に政治に発言し、晩年にはシラクサで自ら理想国家を樹立しようとしている。プラトンはシラクサ王ディオニシウス2世の後見役であった弟子のディオンに乞われて60歳でシチリアに赴き、王の教育を試みた。しかし政争に巻き込まれ、監禁されるなどの危険な目に遭い、67歳でアテネに戻った。彼の理想論は見事に失敗したのだった。