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コスモポリタニズム/世界市民主義

ヘレニズム時代に広がった世界観。ギリシアのポリス社会の崩壊に伴い、普遍的な人間の生き方が探求されるようになった。

ヘレニズム時代の世界観

 ヘレニズム時代のギリシアでポリスの衰退を背景として起こった、ポリスの枠にとらわれずに普遍的な人間存在を意識するようになった新しい思想。ペロポネソス戦争によるポリスの抗争、マケドニアへの服属によってポリス民主政が衰え、アレクサンドロスの大帝国建設によってヘレニズム世界のコスモポリス(世界国家)が形成されたことによって成立した。
 かつてアリストテレスが“人間はポリス的動物である”と言ったように、ポリス全盛期のギリシア思想はポリスに属する人間を考察することが前提であった。しかし、前4世紀以降、ポリスの衰退がはっきりしてくると、ポリスを価値判断の基準にするのではなく、個人がどう考え、どう生きるかを問い、ポリスの枠を越えたより普遍的な生き方、哲学が求められるようになった。そのような風潮をコスモポリタニズムといい、代表的な哲学としてはゼノンのはじめたストア派と、エピクロスのエピクロス派がある。このような普遍性の重視は、キリスト教という合理的な思考を超越した絶対者を受け入れる素地ともなったと考えられる。

Episode 最初の「世界市民」は誰か。

 アリストテレスのいうように人間が“ポリス的動物”であるとすると、その市民としての権利もポリスあってのもの、となり、民主主義であろうが自由であろうが、国家に依存して始めて成り立つ、ということになるだろう。それは個人利益より国家利益を優先させるのが当然だ、という発想となり、国家が国益を懸けて戦う戦争が起こったら、国家に殉じるしかない、ということになる。アテネがペロポネソス戦争に巻き込まれていった時もそうだったに違いない。その結果はポリス社会の崩壊となり、北方のマケドニアの専制国家を台頭させ、アレクサンドロス大王を出現させた。アリストテレスがアレクサンドロスの教師だったことは深刻な歴史的皮肉と言わなければならない。
 ポリス社会崩壊にともなって「世界市民」コスモポリテースという考えが出てきたことは当然だった。それでは、明確にそのことを自覚した最初は誰だっただろうか。ラウェルティウスの『ギリシア哲学者列伝』中巻によると、ソクラテスの孫弟子にあたり、犬儒学派として知られるディオゲネスは、あなたはどこの国の人かと訊ねられると、「世界市民(コスモポリテース)だ」と答えたという。さしずめ、この人が自覚的な世界市民第一号と言って良いのではないだろうか。
 また彼は市民国家(ポリス)が存在するのでなければ文明化しても何の益にもならないし、市民国家が存在するのでなければ法は何の役にも立たない、したがって法は文明化をもたらすとも言っている。さらに「彼は、高貴な生まれとか、名声とか、すべてそのようなものは、悪徳を目立たせる飾りであると言って、冷笑していた。また、唯一の正しい国家は世界的な規模のものであると」言っている。<ディオゲネス・ラエルティオス/加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』中 岩波文庫 p.162,169-167>
 ディオゲネスは、アレクサンドロス大王が訪ねてきたとき、日影になるからどいてくれ、と言ったことで知られる人物。いつも樽の中でくらし、人間的な欲望や名声を拒否し、自ら犬のような生活を理想としていたので犬儒学派と言われた。そして伝承ではアレクサンドロス大王と同じ前323年に死んだという。彼が理想とした「世界的な規模」の国家はアレクサンドロス大王の帝国だったのか、はたまた、もっと長いスパーンで予見して、現代の主権国家体制の克服を見通していたのか、それは判らない。
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