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ポリスの衰退

ペロポネソス戦争の長期化の結果、ギリシアのポリスの衰退が始まる。

 前404年ペロポネソス戦争はスパルタの勝利に終わり、アテネは海外領土のすべてを失い、海軍は接収され、デロス同盟は解体され、「アテネ帝国」は消滅した。
 その後のアテネには、スパルタ軍が駐留し、その後押しを受けた貴族寡頭政治である「三十人僭主」による政治が行われ、民主政維持を主張した人々は厳しく弾圧された。「三十人僭主」は翌年に倒れ、アテネ民主政が復活したが、それ以後の前4世紀のアテネおよびギリシアの諸ポリスには卓越した政治指導者は出現せず、一般的には衆愚政治と言われるポリスの衰退期に入るとされている。

民主政は一気に衰退したわけではない。

 しかしアテネ民主政が一気に消滅したのではなく、この時期にも弾劾裁判制度などが強化されており、それは必ずしも衆愚政と切り捨てるべきではなく、民主政の徹底、法治主義の理念の出現ととらえるべきことである。ポリス民主政を消滅させたのは、その内部的な腐敗と言うよりは、マケドニアという外部からの力によるものと考えるべきである。<橋場弦『丘のうえの民主政』1997 東大出版会>
※しかし、ペロポネソス戦争とその後のうち続くポリス間の戦争が、民主政の基盤である市民の生活基盤である農業や商工業を荒廃させ、かつての専制国家ペルシア帝国の攻撃をはねのけた重装歩兵として活躍した市民たちは没落し、新たな専制国家マケドニアの侵攻にはもはや抵抗する力が失われていたことも事実であろう。
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書籍案内

橋場弦
『民主主義の源流
―古代アテネの実験』
2016 講談社学術文庫
旧題『丘のうえの民主政』
1997 東大出版会