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奴隷(ローマ)

古代ローマの繁栄は奴隷制によって支えられた。特に地中海征服の過程で海外から多数の奴隷がもたらされ、痔土地所有制の労働力となった。また一部は剣闘士奴隷として市民の娯楽に供された。

 古代ローマもギリシアと同じく奴隷制社会であったが、ギリシアが家内奴隷が主であったのに対して、ローマは奴隷制による大土地所有制(ラティフンディア)が発達した。また奴隷の数も膨大で、ローマの征服戦争によって属州としたところから得られた捕虜がその供給源であった。奴隷は人権は認められず商品として売買され、奴隷主に服従した。奴隷の中にもその身分から解放されて解放奴隷となるものもあったが、ローマでは解放奴隷の化から市民権を認められる者もあった。また奴隷の中には、武術に優れた者を剣奴(剣闘士奴隷)とする特別な場合もあった。彼ら奴隷は厳しい搾取のもとにあったので、前2世紀ごろからしばしば奴隷反乱を起こした。シチリアの奴隷反乱に続いて、前1世紀には剣奴(剣闘士奴隷)が蜂起してスパルタクスの反乱が起こり、ローマ共和政を動揺させた。
 ローマ奴隷制は帝政時代も継続するが、ローマ領が最大となり対外戦争が行われなくなると次第にその供給が減少し、またあい次ぐ奴隷反乱によって、奴隷の待遇も少しずつ向上し、コロヌス制に移行していく。 → ギリシアの奴隷制度

奴隷の売買

(引用)奴隷は急流のように流れ込んだ。前177年、一挙に四万のサルデーニャ人が奴隷としてローマに連れてこられ、その十年後、エペイロス人五万が同じ運命に陥る。ローマ軍団は今やギリシアを超え、あるいはアジア、あるいはドナウ河流域、はてはロシアとの境界にまで進入しつつあったが、奴隷商人はその軍旗のあとをついて歩いた。いくらでも奴隷を確保できたから、デロス島の国際奴隷市場で一万人の奴隷が一度に売買されるくらいは日常茶飯事となり、値段も一人当たり五〇〇円程度まで下がった。<モンタネッリ/藤沢道郎訳『ローマの歴史』中公文庫 p.161>

参考 カトーの奴隷

 プルタルコスの『英雄伝』には、ギリシアとローマの歴史上の人物の伝記を対比させて論じているが、様々な情報が載せられていて興味深い。その中のローマ共和政時代の政治家、軍人、弁論家として名高いカトー(大カトー)の話の中に、ローマの奴隷主と奴隷の関係を知ることのできる逸話がいくつか載せられている。<以下、プルタルコス/村川堅太郎訳『プルタルコス英雄伝』中 ちくま学芸文庫 p.255-294>
  • カトーはいつも質素な生活を心掛け、法務官になってもコンスルとなっても奴隷と同じ酒を呑み、1500ドラクメ以上の奴隷は買ったことがなかった。彼によれば必要なのは柔弱だったり美し奴隷ではなくて馬丁や牛追いのように仕事に精出すがっしりした奴隷であり、かような奴隷であっても齢をとりすぎたら売り払うべきで役に立たぬ者を養うべきでないと考えていた。<p.621>
  • サルディニアの属州を任地としたときも節約に努め、属州民を苦しめないように、どこに行くにも車に乗らず、国有奴隷一人をお供にするだけだった。<p.263>
  • 妻は自分の乳で子を育てたので、しばしば奴隷の子どもにまで乳房をあてがって、奴隷の子が一緒に育ったことから自分の息子に対し親しみを懐くように図っていた。子供に知恵がつきはじめるとカトーは自分で引き取って文字を教えた。しかも彼は読み書きの先生で大勢の子供たちに教えていたキロンという上品な奴隷を抱えていたのであった。……<p.283>
  • カトーは沢山の奴隷を所有していたが、それは多くの場合、捕虜のうちのまだ若くて子犬や仔馬のようにこれから養育と仕込みのできるものを買ったのであった。……奴隷は家では何か用事をしているか眠っていなければならなかたが、カトーはよく眠る者を特に喜んだ。それはそういう奴隷がめざとい者より穏順で、よく眠った者は眠りの足らぬ者よりもどんな仕事にも使いやすいと考えたからだ。<p.284>
  • また奴隷たちがいい加減な仕事をする最大の理由は色恋にあると思って、奴隷たちに一定の金額を納めて女奴隷と交わらせ、他のいかなる女に近づくことも禁じた。<p.285>
  • ……食事が終わるとすぐに、何に限らず行き届かなかった給仕人や料理番を鞭で懲らした。また絶えず奴隷たちの間に仲間割れがあって互いに喧嘩をするように工夫していたが、それは彼らの一致団結を想像して恐れたからであった。何か死刑に値することを行ったと思われる奴隷は、すべての奴隷の面前で裁き、有罪と決まれば死刑に処した。<p.285>
  • 彼はまた奴隷のうちの希望者に金を貸し与えた。彼らはそれで子供たちを購い、カトーの費用で訓練し、教育した上で売却した。そしてカトー自身が多数の子供を手許に押さえておき、買入れ希望の奴隷の付けた最高価格を目安にして売りつけていた。<p.286>
  • 妻を失ってから……男やもめになった自分は若い奴隷女と関係し、こっそり自分の所にかよわせた。(しかし若い息子夫妻がそれをいやがったので、カトーは友人を言い含めてその娘を新しい嫁として迎えた。)<p.289>
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ノートの参照
1章3節 イ.地中海征服とその影響
書籍案内

モンタネッリ
『ローマの歴史』
中公文庫

プルタルコス/村川堅太郎訳
『プルタルコス英雄伝』中
ちくま学芸文庫