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ラティフンディア/ラティフンディム

古代ローマにおける有力者にる大土地所有地をラティフンディア(大農園。単数形がラティフンディウム)という。主として属州からの奴隷労働力で経営された。

 ラティフンディウム Latifundium はラテン語で、Lati が広い、fundium が所有地を意味する。その複数形がラティフンディア。古代のローマにおける大土地所有地(大農園)のあり方を総称してラティフンディアといっている。前3~2世紀のポエニ戦争を契機として中小農民の没落が進み、農地が富裕な貴族(パトリキ)や新貴族(ノビレス)などの元老院議員クラスの有力者に集中するようになった。彼らは属州の拡大に伴いその総督として不当な利益を蓄積することができ、その富によって大土地経営を行った。またそこでの労働力は属州から得られた奴隷が充てられ、主としてブドウ・オリーブなどの果樹栽培が行われていた。

ラティフンディアの拡大

 有力者によるラティフンディアの拡大によってもたらされる中小農民の没落は、平等な市民共同体が重装歩兵として軍事力をになうという都市国家ローマの基盤を揺るがすことになるので、前133~123年にその維持を図ろうとしたグラックス兄弟の改革は、公有地占有の制限などを行おうとしたが、いずれも元老院保守派の反対で失敗してしまった。改革後に出された前111年の土地法では公有地占有の制限はなくなり、大土地私有が公認された。
騎士層の進出  大土地所有者は、はじめ元老院議員クラスの有力者であり、彼らはみずからはローマに居住し、イタリア各地に大放牧場での牧畜や、大農園での穀物生産などを行った。彼らに加えて前3世紀の終わりごろから、属州での徴税請負人として富を貯えた騎士(エクイテス)階層が現れ、彼らは同例労働力による大土地経営によって、ぶどうとオリーブを生産し、資本主義的な農場経営を展開するようになった。彼らはまた、元老院議員クラスの政権独占に対して平民派といわれる政治勢力を構成し、共和政から帝政(元首政)への転換の主役となっていく。

奴隷制大農場

(引用)このような道筋で、ローマ市民共同体の属州支配の果実の最大部分は、これらの官職貴族=ノビレス層、騎士(エクイテス)=資本家層の手に集中されたわけであるが、かれらはそれらの支配の果実である貨幣をイタリアの農民が手放した農地の買い集めや公有地の先占に投下し、同じく支配の果実である大量の奴隷労働をそこに投入して、奴隷制大農場を経営した。商品生産への指向の強いこの奴隷制大農場ではオリーブ、ぶどうなどの果樹が主として栽培されたが、これは大規模な奴隷労働使用の古典的な例として、アメリカ南部の綿花農場の黒人奴隷制と並んで世界史的に注目されたものであった。<弓削達『地中海世界』新書西洋史② 1973 講談社現代新書 p.110>

帝政移行期のラティフンディア

 ローマ文明の繁栄を支えた経済的基礎は、大土地所有を農場として経営することであった。これらの大土地所有は、前1世紀においては、中・南部イタリアに多い分散型と、ローマ北方のエトルリア地方に多い集中型とにわかれる。分散型とは幾つかの離れた小所領に分散した、しかし全体としては大土地所有であるものであり、集中型は一単位の所領(フンドゥス)が非常に大きいものを言う。これらのラティフンディアでは、多数の奴隷を使ってぶどうやオリーブを栽培する奴隷制大農場と、大牧畜経営が展開された。
 もちろん農民が全部没落したわけではなく、農民の穀物畑が大土地所有の傍らに存在していたが、奴隷制大農場経営こそがローマ帝国時代のイタリア農業の特徴と見て良い。そこでの奴隷労働力はローマの海外戦争によって流入した多くの捕虜奴隷によって可能となった。このようなローマの大土地所有経営は、すでにカルタゴがシチリアなどで始めていたものであり、ポエニ戦争でシチリアがローマ領となった結果、ローマに導入されたのであった。
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ノートの参照
1章3節 イ.地中海征服とその影響
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弓削達
『地中海世界』新書西洋史②
1973 講談社現代新書