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剣奴(剣闘士奴隷、グラディエイター)

古代ローマで市民の娯楽とされた剣闘士奴隷のこと。

ポンペイの落書の
剣闘士試合を描いたポンペイの落書の一部。土井正興『スパルタクスの蜂起』(新版)p.12
 古代ローマで、市民への見世物として互いに戦闘することを強制された奴隷を剣奴、あるいは剣闘士奴隷という。いわゆるグラディエイターである。多くは戦争捕虜の中から選抜されて養成所で育成され、各地の闘技場で互いに戦わされたり、猛獣と戦わされるなどした。そのような剣奴の境遇の中から起ち上がったのが、前73年のスパルタクスの反乱であった。彼は前73年に剣奴養成所を脱走して反乱を組織し、ローマを大いに脅かした。その反乱が鎮圧され、共和政時代から帝政に移行してからも剣闘士奴隷は続き、紀元80年、ティトウス帝の時にローマの円形競技場(コロッセウム)が完成すると、そこでは大々的な剣闘士同士の殺し合いや猛獣との戦いが、皇帝がローマ市民に与える娯楽として興行された。5世紀の初め、キリスト教信仰が広がり、404年に剣闘士試合は中止されることとなった。<土井正興『スパルタクスの蜂起』1973(新版は1988)青木書店 p.12> 

剣闘士奴隷の公認

(引用)……剣闘士の決闘は、エトルリア人の習慣が、ローマをはじめイタリア各地に伝わったものであった。事実、エトルリア人の骨壺や墓には、しばしば闘っている剣闘士が描かれている。それは、エトルリア人が、死者の霊をとむらうために、戦争捕虜を墓の前で闘わせるという習慣を持っていたからである。ローマ人自身が、はじめて公然と剣闘士の試合をおこなったのは、前二六四年のことであった。ブルトゥス・ペラの息子が、父親の葬式にあたって、その霊の名誉のために、三組の剣闘士を市場で闘わせたのである。たしかに、それは身内だけの前で演ぜられたものであり、素朴で質素で、むしろ父の死をとむらうという宗教的側面が強いものであった。その剣闘士の試合が、前一〇五年には、二人の執政官によって公的な見世物のひとつとして、民衆に提供することを承認されたのである。つまり、剣闘士の試合は国家によって、民衆に提供される見世物のひとつとして公認されたのであった。しかし、このことは、剣闘士試合の興行権を国家が独占したことを意味するものではなかった。国家が開催する剣闘士の試合とならんで、個人が剣闘士の試合を民衆に提供することも法的に保障されていたのである。……<土井正興『スパルタクスの蜂起』1973(新版は1988)青木書店 p.17>

剣闘士試合中止を訴えて殺された修道僧

 ローマ市民は、こうした競技を無上の楽しみにしていた。
(引用)「だから、404年に剣闘士試合を中止させるきっかけをつくった白衣の修道僧テレマクスが、闘技場におり立って、この残酷な競技を中止するよう要求したとき、観衆は怒って彼に石を投げつけ、ひるまずに要求をつづけたテレマクスを、ついに打ち殺してしまったのは、観衆にとってみれば、きわめて当然のことだったのである。この血なまぐさい残酷な競技は、これほどローマ市民によって愛好されていたのである。」<土井正興『スパルタクスの蜂起』1973(新版は1988)青木書店 p.13>

悪徳剣闘士、逮捕される。

 ただし現代の話です。
(引用)「悪徳剣闘士を制圧――。ローマの警察当局はこのほど、市内の観光名所で古代の剣闘士に扮し、写真を撮った観光客から高額の料金を脅し取っていた業者らを一斉摘発し、約20人を拘束した。地元紙によると、9人を恐喝などの容疑で取り調べる。」ローマのコロッセウム前などでこのような悪徳剣闘士が横行しているという。剣闘士も墜ちたものだ。ローマ見物の際は気をつけてください。<朝日新聞 2011年8月14日>

アウグスティヌスの見た剣闘士試合

 4世紀後半、ローマ帝国の属州アフリカの都市カルタゴで学んでいたアウグスティヌスは、剣闘士の見世物に熱中していた友人アリピウスをその迷いから救おうとした。その話しを『告白』に詳しく書いている。初めは見世物に行くのをいやがっていたアリピウスが、次第にその虜になってしまった。ここに描かれた剣闘士試合はアウグスティヌスも見ていたのだろう。
(引用)彼(アリピウス)らがそこに来て、ようやく座席に腰を下ろすと、満場は残酷きわまる快楽でわきたっていました。彼は眼の扉を閉じ、こういうひどい悪におもむくことがないようにと魂に命じました。ついでに耳も閉じれば良かった。というのは、闘争のあいだにだれかたおれて、全観衆の巨大なさけび声がはげしく耳をうつと、好奇心にまけて、どんなことが目に映じようとも、軽くうちかつ心がまえができているかのように目を開いたのです。すると彼は、見ようと思った剣士がからだにうけた傷よりもっと重い傷を心にうけ、たおれてさけび声がおこった剣士よりもっと悲惨なすがたでたおれました。
 彼は、血を見るやいなや、同時に残忍を飲みほした。目をそむけるどころかかえって凝視し、狂暴を飲みほしながらそれに気づかず、醜悪な闘技に歓喜し、血なまぐさい快楽に酔い痴れた。もはや彼は、来たときの彼ではなく、そこにやってきた群衆の一員となり、誘った友人たちのほんとうの仲間になってしまいました。これ以上何をいうことがありましょうか。ながめ、さけび、熱狂し、そこから凶器をたずさえて家に帰りました。狂気にそそのかされた彼は、・・・こんどは彼らの先頭にたち、ほかの者たちをもひっぱってそこに行くようになってしまったのです。<アウグスティヌス/山田晶『告白』Ⅰ ちくま学芸文庫 p.289>
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ノートの参照
第1章3節 ウ.内乱の一世紀
書籍案内
土井正興著『スパルタクスの蜂起』
土井正興
『新版 スパルタクスの蜂起―古代ローマの奴隷戦争』
1988 青木書店
DVD紹介

スパルタカス
S・キューブリック監督 カーク・ダグラス主演