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劉邦

秦末の動乱に挙兵し、項羽と争って勝ち、漢王朝をひらいた人物。漢の高祖。

劉邦は農民の出身で、現在の江蘇省沛県の出身。若い頃遊侠の徒(つまりヤクザ)となり、諸国を流浪した。故郷に帰って役人となり、始皇帝の驪山陵造営に動員され、村民を率いて行ったが、途中逃亡するものが多く、彼も彼らを率いて盗賊となってしまった。おりから陳勝・呉広の反乱が起こると、それに呼応して前209年9月、故郷の沛で挙兵した。一方の有力者項羽と競って関中を目指し、さきに咸陽を陥れた(前207年)が、遅れて咸陽に入った項羽に支配権を譲り、漢水の上流、漢中地方が与えられ、王を名乗った。そこを足場に力を蓄えた劉邦は関中に進出し、以後項羽の楚と激しく争った。何度か敗北し、危機に陥ったが、蕭何、韓信や紀信などの家臣に救われた。最終的に両者の戦いは前202年の垓下の戦いで劉邦が勝利し、による中国統一に成功し、漢の初代皇帝高祖となり、一代で漢帝国の基礎を築いた。農民出身で皇帝となったものは中国の歴史で二人しかいない。漢の高祖劉邦と、明の太祖朱元璋である。 → 高祖
 漢の高祖は、都の長安の建設を開始、中央の官制を整備するとともに、全国支配の体制をつくったが、秦の始皇帝の郡県制の強制が失敗したことを受けて、直轄地には郡県制をしいて中央から官吏を派遣し、その他の地域には封建制を残して、地域の有力者の支配権を認めるという郡国制を布いて国家の安定を図った。しかし、北方の匈奴との戦いでは冒頓単于に敗れ、屈辱的な講和を強いられた。
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第2章3節 カ.秦の統一