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貴族(中国)

中国の魏晋南北朝時代に成長した門閥貴族に始まり唐代に支配階級を形成した。

貴族とは一般に、国家の上級職を世襲的に独占する階級を言う。古代ギリシアにおいてもポリス社会で支配権力を握った貴族が存在し、アルコンなどの地位を独占しており、ローマにおいても平民に対してパトリキと言われて元老院議員などの地位を独占する階層が貴族だった。特にローマではその後も平民で裕福になった層が新貴族(ノビレス)と言われた。これらはいずれも世襲によって地位を継承し、「高貴な血統」にあるとされる門閥貴族であった。

中国の貴族

 中国史では、後漢までは豪族という概念が用いられ、魏晋南北朝に九品中正を経て貴族社会が形成されたと一般的に言われている。かれらはいわゆる門閥貴族であり、同じように血統的に特権的な地位を継承した。彼らは律令制の下でも蔭位の制などによって特権的な地位を維持し、荘園を経済的な基盤として支配的な地位を守っていたが、一方で隋唐に始まる科挙によって選ばれてた官僚の比重がしだいに大きくなり、五代十国の争乱の中で貴族はその経済的基盤である荘園を失って次第に没落していく。次の時代には社会の中核には、現地で佃戸を抱える新興地主であり、知識人として科挙合格者として官僚となっていった士大夫と言われる人々に移っていく。

爵位制度

 ヨーロッパ中世の封建社会では、封建領主層、言い換えれば騎士階級を「貴族」と言うようになる。彼らは、国王など上級領主から所領を与えられ、領内の農民から年貢その他の地代を取る権利と共に、不輸・不入などの特権を認められるようになる。中世末期の絶対王政時代まで、貴族階級はそのような免税特権を持った存在として続き、絶対王政の時代になると国家の上級官僚としての地位を独占し、爵位制度(公爵-侯爵-伯爵-子爵-男爵)で秩序立てられていく。
 日本や朝鮮などアジア諸国では中国の律令制度の影響を受けながら、朝鮮では両班が独自に発達した。日本の律令制時代の貴族制度は、中世以降は天皇制と共に公家制度として維持されたが、明治になって華族・士族・平民の別と新たな貴族層=華族が創出され、ヨーロッパ絶対王制国家に範を採って爵位制度が導入された。この爵位制度の源流は中国の周(西周)時代の諸侯を「公侯伯子男」に格付けして爵位を授けたことにさかのぼる。
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ノートの参照
第3章1節 ウ.社会経済の変化