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士大夫

宋代の政治、社会、文化を支えた新興地主階級。儒学(朱子学)を治め、科挙に合格して官僚となった知識人として重んじられた。文人画などの文化を支えた面も重視される。

士大夫
書画や楽器に囲まれ、豊かな生活を送っている士大夫。
 したいふ。中国の歴史の中で、宋代の支配者階級を形成した階層をいう。古代中国の封建制社会での卿・大夫・士を継承するものであるが、宋代にはその性格は、次の三つの面を併せ持っている社会的存在になっている。
士大夫の三つの面
  1. 政治的には科挙に合格して上級官僚となったもの。
  2. 経済的には新興地主形勢戸)であることが多い。
  3. 文化的には儒教的教養を身につけた「読書人」。
 なお、宋代の士大夫は、モンゴル支配下の元では科挙は行われなくなったので、科挙合格者としての側面はなくなるが、元でも両税法と佃戸制が維持されたため、地主として存在し続けた。次の明・清では科挙が復活したので、地主層が科挙合格者として官吏となり、その一部は官吏を引退した後にも大地主として地域で実力を有し続けた。そのような存在を郷紳と言うようになる。

宋学(朱子学)の担い手としての士大夫

 士大夫が、宋学(朱子学)の担い手になったことについて次のような説明がある。
(引用)宋学の主体は誰であるか。それは「士大夫」にほかならない。宋学とは、士大夫の学なのであり、士大夫の思想なのである。士大夫とは何か。唐代、科挙制度の確立とともにおこり、宋代にいたって確乎不動の勢力となったところの独特の支配階級である。経済的には地主であることを例としたが、しかし、それは必ずも必須の条件ではない。士大夫の特徴は、なによりもまず、知識階級である点に、いいかえれば、儒教経典の教養の保持者たる点に、すなわち「読書人」たる点に求められる。いま少し周到にいえば、その儒教的教養(それは同時に道徳能力をも意味する)のゆえに、その十全なあり方としては科挙を通過して為政者(官僚)となるべき者と期待されるように、そのような人々の階級である。<島田虔次『朱子学と陽明学』岩波新書1967 p.14>
 また、宋代の美術の主流となった文人画を支えたのも、士大夫であった。右図では、風雅な読書人、文人としての士大夫の生活の理想が描かれている。 → 宋代の文化

士大夫の倫理と生活

 士大夫と朱子学の関係には次の説明が判りやすい。
(引用)「士大夫」という言葉はもともと、周の封建時代の支配者であった「大夫」とか「士」という語に由来するが、宋代以降、儒学の素養を積んだ知識人を指して用いられるようになった。「読書人」という言葉も同様の意味である。周代の「士」「大夫」が世襲であったのに対し、宋代以降の士大夫の地位は、学問を積み科挙に合格するか、あるいは科挙合格者と同様の教養をもつと認められることによって勝ち取らなければならなかった。一般庶民に対して科挙合格者は刑法上、賦役制度上で優遇され、またいったん科挙に合格すれば社会的にも尊敬を集め大きな勢力を得ることができたため、科挙合格の狭い門をめぐり激しい受験競争がおこなわれた。科挙合格をめざす子供は、数えの8歳くらいから先生について儒教経典の読み方を学び、数十万におよぶ主要経典の文章を暗記し、答案の書き方を練習した。二十代で科挙に合格して官職を得るのは優秀な方で、何度受けても落第し、一生を受験勉強に費やす人もいた。
 儒教の精神を体得したた知識人として、士大夫は高潔な道徳の持主であることを期待されていたが、受験勉強にかけた元手を取り戻す必要もあり、官僚になれば賄賂や付加税で私腹を肥やすのは普通のことだった。高潔であるべき士大夫が私利私欲や虚栄心のために陰湿な暗闘を演じる様子は、清代の『儒林外史』や『官場現形記』などの小説に皮肉を込めて描かれている。<岸本美緒『中国の歴史』2015 ちくま学芸文庫 p.135-134>

士大夫から郷紳へ

 次の征服王朝であるの時代になると、科挙が停止されたものの、税制度としての両税法と小作制度としての佃戸制は残っていたため、地主層はそのまま存続しており、その中で代に農業生産力の向上に伴って成長した地主層が科挙の合格者としての地位もしめるようになり、引退後も在地で有力者として振る舞い、郷紳といわれるようになる。
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書籍案内

島田虔次
『朱子学と陽明学』
岩波新書

岸本美緒
『中国の歴史』
2015 ちくま学芸文庫